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祝辞
創業100周年によせて 創業100周年
更なる飛躍を心から祈念
JFE鋼板株式会社 株 式 会 社 三 井 住 友銀 行
代表取締役社長 理事 西日本第二法人営業本部長
小川 滿 越智 政 道
この度は、片山鉄建株式会社が創業100周年を迎えられましたことを心よりお慶び この度、片山 建様が創業100周年を迎えられましたことを、心よりお慶び申し上
申し上げると共に、日頃の販売協力に対しまして深く御礼申し上げます。 げます。 CONGRATULATORY MESSAGES
片山鉄建株式会社は創業以来、鉄鋼二次製品の取り扱いをされ、当社とも深いつ 1919 (大正8)年に片山栄一氏が大阪市南区において、片山栄一商店をご創業され
ながりをもってまいりました。 1950 (昭和25)年の川崎製鉄の川崎重工業からの分離 て以来、亜鉛鉄板・針金・鉄線等の鉄鋼製品を主力に問屋の形態を整えられ商勢を
ふきあい
独立時に遡りますが、川崎製鉄は当時の事業展開の一つとして神戸葺合に亜鉛鍍金 拡大。 1970 (昭和45)年に開催された大阪万博ではパビリオンの建設資材の供給なら
工場を建設し、その生産開始と同時に、当時社長であった西山弥太郎が御社創業者の びに工事にも貢献され、万博の成功を陰ながら支えられました。一世紀にわたり当地
片山栄一様に販売協力を要請し、順次販売を増やしていただいた経緯がございます。 のリーダーとしての役割を果たされ業界内で確固たる地位を築かれたことは、歴代社
また関東地区におきましては、 1955 (昭和30)年に川鉄傘下に入った東京亜鉛鍍金 長及び現在の片山隆之社長の類稀なリーダーシップと役職員の皆様の不断のご努力
の「赤鳩」印のトタン板の販売を開始していただき、名実共に日本全国でのお取引とな の賜物であると深甚の敬意を表する次第です。
いたちぼり
りました。それ以降も、弊社は川鉄傘下の亜鉛鍍金企業を統合し、 1965 (昭和40)年 私事になり恐縮ですが、 2014 (平成26)年4月から2年間、弊行立売堀法人営業部
に川鉄鋼板を設立。 2003 (平成15)年には川崎製鉄・日本鋼管の経営統合がなり、翌 長を務めさせていただき、鉄鋼製品総合商社として業界を牽引される片山 建様と
年に両社の薄板建材事業を統合し、 JFE 鋼板が設立されました。 JFE 鋼板設立以降も、 のお取引に携われたことで、鉄鋼業界の知見を深めることができました。このように
弊社の店売り販売窓口である新和会の主力メンバーとして支えていただきました。 100周年史に寄稿する機会が与えられまして、誠に光栄に存じますと共に恐縮の極み
こうした歴史の変遷の中でも変わらず、弊社製品をご愛顧いただき主力販売窓口とし であります。
て、鋼材市場におきましても確固たる地歩を築いていただきましたことには、重ねて 片山 建様と私どもとは、ご創業当初よりお取引をさせていただいておりますが、
心より御礼を申し上げたいと思います。 永い歴史の中で特筆すべきことがあります。 1945 (昭和20)年の大阪大空襲により、
今後の日本経済は、人口減少によるマーケットの縮小や人手不足による産業活動 大阪市内一帯が焼野原になった際に、ご本社が消失してしまう事態となった時のこと
の滞りなど大きな課題を抱えております。特に弊社の販売分野であります薄板建材 です。
市場では一戸建て住宅の減少や狭小化が進み、かたや非住宅分野でも産業全般の停 戦後直ちに当時の片山栄一社長が、旧住友銀行立売堀支店の店舗の一部を間借り
滞から来る伸び悩みが懸念されます。そうした中でも、片山鉄建様とは力を合わせて し、再建に向け奮起され、並々ならぬご努力の下、復興を果たされました。微力ながら
金属屋根の拡大やマーケットシェアの確保・拡大に向けて共に進んでまいりたいと 再建の一助となることが出来たことは、取引銀行として大きな慶びであります。
考えております。 創業100周年という輝かしい節目を機に、片山 建様の更なる飛躍を心から祈念
まずは、 100周年という節目でございますし大変おめでたいことではございます し、また長きにわたるご愛顧に感謝申し上げ、私どものお祝いの言葉とさせていただ
が、今後の発展が更に重要になってまいります。弊社も2013 (平成25)年に創業100 きます。
年を迎えており、過去の先人達の努力・英知を今後の100年に向けてつなげてまいり
たいと思っております。
最後になりますが、互いに協力して将来に向けて様々な課題に対応し、共に発展し
てまいりたいと思います。今後ともご協力を宜しくお願いいたします。
008 ◆ ◆ ◆ THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD. ˗ ˗ ˗ 009