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2020年 3月 18日
伊藤先生との思い出 大分工業高等専門学校 小西忠司
伊藤昭彦先生ご 退職おめでとうご ざいます。お祝い を申し上げますと ともに、今までの ご指導に心より感 謝を致します。
さて、1990 年 10 月に一般企業から 大分高専に転職した際、専攻科設立の ため学位取得が必要でした。職場の上 司に九州大学を紹介されて、約 3 年間 が経過しましたが、大分から遠く、研 究を継続するには最適な環境ではあり ませんでした。
折しも、1995 年 4 月大分大学に博 士後期課程設置という朗報を聞き、大 分大学の知人から、私の研究分野に近 い二人の先生をご紹介して頂きました。 指導教員を選択する際、発表論文では 研究の一部しか把握できないため、大 学図書館で紀要に記載された卒業研究 テーマを見ました。一人1テーマで多 彩で不思議な魅力を感じたのが伊藤先 生でした。早速、知人に伊藤先生をご 紹介して頂きご挨拶に行きました。暫 くして、伊藤先生から「混相流」か「火 炎伝ぱ」の二者択一を促され、混相流 に飽きていたこと、母校の豊橋技術科 学大学(大竹教授)で燃焼を研究して いたことから火炎伝ぱを選択しました。
後日、伊藤先生から課題でメタノー ル燃料上の蒸気濃度分布計算が提示さ れました。非定常二次元拡散方程式で 解き、勇んで伊藤先生を訪れた瞬間、 テニス服姿で去っていくタイミングの 悪さを思い出します。蒸気濃度分布の 計算と実験結果に乖離があり、1ヶ月 後にレーザーシートで燃料容器上部の 可視化を行い、容器周囲の流れによる 境界条件の相違と判明しました。恐ら く、直感的に伊藤先生には答えと解決 方法が分かっていたと思うのですが、 私の意志とペースを尊重頂き、自力で 解決したことで自信がつきました。
入学4ヶ月後にホログラフィー干渉 法による蒸気濃度分布や液相および気
寄 稿 文
相渦の可視化を始めました。当時、液 体表面上の火炎伝ぱの研究の焦点は振 動伝ぱ機構の解明でした。振動伝ぱ現 象は、液相渦を主要因とする伊藤先生 らと気相渦を主張する NASA らのグ ループで議論が二分されていました。 タイミンが良く、伊藤研究室に大学か ら特別予算が配分され、赤外線カメラ、 高速度カメラ、レーザーが導入されま した。暫くして、振動伝ぱ機構が、液 相渦が形成する低温領域の生成と消滅 に起因することを見つけました。未熟 だった私は、自分のお手柄と勘違いし ました。私が学生の研究指導をする立 場となった今振り返ると、全ては伊藤 先生の研究計画の筋書き通りで、誰が 実験しても結果がでるお膳立てだった と思います。私の厚顔無恥な振る舞い にも関わらず、伊藤先生は寛容な心で、 私のやる気も喪失させず、少しの説諭 で自己肯定感を持たせてくれました。
さて、伊藤研究室の恒例行事は、「米 国ケンタッキー大学で一夏を過ごす」 ことでした。レキシントンに到着して、 初めて見たブルーグラスの光景を今で も鮮明に覚えています。ウイークリマ ンション Studio plus で部屋をシェア しましたが、自由奔放で散らかし放題 の私と、貴重面で整理整頓ができる伊 藤先生とは何度か衝突がありました。 ある夏、共同生活に息苦しさのあまり 自転車を購入して別行動をしました。 ショッピングの帰途に突然スコールに 逢い、Studio に帰れなくなったときも、 伊藤先生は何も言わずに迎えに来てく れました。海外での自動車の運転もケ ンタッキーで伊藤先生に習い、今では 米国に限らず海外でのドライブが楽し みとなっています。
国際燃焼シンポジウムでは、ナポリ、 ボルダー、エジンバラ、ハイデルベル グ、北京と、いつも何かしら思い出深 い旅行でした。ナポリのピザ、フィレ ンツェのステーキ、エジンバラのハギ スと生キャラメル、ハイデルベルグの レストランなど、ガイドブックを頼ら ずに、足で探す私に、随分お付き合い
頂きました。海外渡航では乗換の不具 合もありましたが、トラブル処理は私 に任され、自然と英語と度胸が身につ きました。伊藤先生は、アンティーク ショップには目がなく、嬉しそうな表 情で骨董品を探していました。伊藤先 生が購入して修理された腕時計3本は、 今でも私の愛用品となっています。
1998 年の 9 月に念願の学位を取得 し、伊藤研究室の博士第一号となりま した。伊藤先生が私の学位記をもちア インシュタインを背にした笑顔の写真 は、私の職場のコルクボードに約 20 年間飾っています。後日、伊藤先生か らケンタッキーで購入されたシェイク スピアの素敵な名刺入れもお祝いに頂 きました。しかし、それから間もなく 弘前大学転任をお聞きし、目の前が真 っ暗になり、呆然と立ち尽くしたこと を覚えています。結果的には、伊藤先 生と袂を分かって、異なる医工学分野 で独立した研究者となれました。
2016 年に弘前大学を定年退職され た伊藤先生は、今、冤罪で苦しまれて いる人のために、解析と実験に裏付け られた火災鑑定を行っています。一方、 私は、2020 年に大分高専を退職、4 月 に NPO 法人「あなたのくうかんおお いた」を設立して、理科に興味を持つ 既存の学校に馴染めない不登校の中学 生を対象に「理科オルタナティブスク ール」の開設を予定しています。多分、 伊藤先生から習ったように、「自分の目 で確かめ、日常生活でいつも考え、鉛 筆で書いて、ハングリーな環境でこそ アイデアが育つ」と生徒に教えること でしょう。道は異なりますが、いつま でも尊敬する生涯の師を与えられたこ とを神様に心から感謝しています。