Page 6 - 이성영 작가 작품집
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イ・ソンヨン - 捨てられた記憶の華麗なる復活
イ・ソンヨンは、実に多様な絵の世界を持っている。実景の水墨山水も描けば、風景画のような彩色山水の作品もあり、オブジェを用いた抽
象画もある。ポストモダン時代である現在、美術のジャンルも区分が曖昧であり、区別すること自体が意味を失ったこの時代において、イ
・ソンヨンの多様性は当然の歩みと言えるかもしれない。
しかし、今なお水墨と色彩がそれぞれの領域を尊重し、比較的はっきりと区別されている東洋画壇においては、さまざまな方法論を駆使す
るイ・ソンヨンの作品は非常にユニークである。これは、多様化が進んでそれぞれ異なるスタイルを追求する大衆の嗜好と疎通しようとす
る試みでもあり、変化に富んだこの時代の画家として、あらゆる方法論に挑戦しようとする意図でもあるだろう。いずれにせよ、造形能力
が大きな関門となることは間違いない。しかし、イ・ソンヨンの作品は、水墨山水では緻密な写実性が際立ち、風景を描いた彩色山水はさ
わやかな色彩感覚が、そしてオブジェ作品では新しい試みが注目されており、非常に肯定的な結果をもたらしている。
これらの中から、最近の新しい試みであるオブジェ絵画について取り上げてみたい。オブジェの材料は、すべてカプセル型の薬である。イ・
ソンヨンはその中身の粉薬は取り除き、空のカプセルをオブジェとして使用している。この空カプセルを画面に貼り付け、その上に描画をし
たり、彩色を施して作品を完成させる。
カプセル薬は、さまざまな意味を内包している。まず、治療薬としての効用性である。患者を治療し、その命を救った薬。しかし、それらは
まれに患者を中毒に陥れた存在でもある。中毒とは、姿を変えた別の疾病である。第二に、カプセル薬の使用期限である。どれほど優れた
薬であっても、使用期限を過ぎると毒になる可能性がある。すべての薬は、治療性と解毒性という「二重のアイロニー(皮肉)」を内包して
いる。かつては人々を生かした薬も、時間が経てば廃棄される。カプセルの中に入っていた白い粉は、すべてゴミとなって捨てられる。我
々の人生も同様に、時として捨てられ使用期限を迎えるのである。
このように、イ・ソンヨンは捨てられる空カプセルを集めて画面に貼リ付けて美しく彩色し、その上に花や木、山や川を描く。捨てられる
運命にあった空のカプセルは、イ・ソンヨンの画面で全く新しい姿へと生まれ変わる。我々の先入観が固定させていた事柄の、規定された
存在性が異なる姿となってあらわれる瞬間である。薬だったカプセルが芸術作品として生まれ変わったように、流れる渓谷の水は木々の間
へと吸い込まれ、生命になる。
宇宙の森羅万象はあまねく本性を持っているが、別の環境と出会えば新しい姿へと進化する。「本質は果たして何なのか」というイ・ソン
ヨンの疑問が、彼が作り上げた空カプセルの作品の上で、新しい意味を花咲かせている。
かつて我々の病を癒したカプセル薬がきっぱりと捨てられたように、現在の我々は新しいものに熱狂するあまり大切なものを捨ててはいな
かったか、命ある人々にも使用期限を適用してはいなかったか、今日の私は、薬物中毒者のように、この瞬間の恍惚とした機会だけを耽溺
してはいなかったか - 今はその役割を捨てて画面を華やかに彩る空カプセルの姿は、観る者に多くの質問を投げかけている。
ならば、イ・ソンヨンのカプセルを用いた作品は、一方では鑑賞者たちに新しい処方箋となり得るだろう。単に彼が描き出した山や木、花
々の美しい姿による視覚的な満足だけではなく、観る者に新しい思考方法を求めている。イ・ソンヨンは、捨てられる空カプセルを華やか
に絵画へと転換させた。捨てられ、忘れ去られる運命にあった対象物を新たに記憶させたのである。それによって、我々の本当に失われる
はずだったもの、廃棄されるはずだったものに対する新しい想念を呼び起こす。そのような点で、イ・ソンヨンの彩色された空カプセルは、
また別の癒しの象徴として捉えることができる。
空カプセルは一つ一つ精魂をそそいで貼り付けられる。長い時間を要する労働のような作業である。中身のない空カプセルは、時としてこ
の世で自分の本性を見失って彷徨う現代人の自画像のようでもある。華やかな色彩は、それゆえにふと哀れに見えたりもする。しかし、作
家は一つ一つの空カプセルの存在性を主張するかのように丁寧に貼り付けながら、新しい姿を作り上げていく。空カプセルにもう一つの役
目が与えられる。その上に描かれる花や木、山々の新たな平原となり、それらを胸にかき抱く。華麗なる復活である。
このようなイ・ソンヨンの絵画的方法論は、東洋美学が単に物質の美しさを追い求めるのではなく、観る者をして宇宙や人生について、ま
た現在の状況に対する哲学的質問を絵画を通して具現しようとした態度と同質のものである。
すなわち、さまざまな造形形式を駆使しているが、そこに込められているのは非常に東洋美学的な観点である。これこそ、イ・ソンヨンの
抽象オブジェがこの時代のポップアートの類と差別化されるポイントでもあるだろう。
チャン・ジョンラン(美術史、文学博士)
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