Page 45 - Christies March 15 2017 Fujita Museum
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(Longquan Celadon: The Sichuan Museum Collection, Macau, 1998, pp. 134- 収縮できるように、釉薬をかける前に底に穴が開けられ、釉薬がかけられたソー
5, no.38 参照)。また、元の時代に作られた装飾がない酒会壺が、1975 年に浙 サー状の容器が穴に入れられた。焼成中ソーサーは液状になった釉薬の上に浮か
江省義烏市で発掘されている(Zhu Boqian ed., Celadons from Longquan Kilns, ぶことができ、焼成が完了すると固まった釉薬によってあるべき場所に固定され
Taipei, 1998, p.196, no.171 参照)。それから、曲線的な花の装飾が施され、同 た。この際に用いられたソーサーは独特なもので、十分に釉薬が施されていない
じ形をしたもう少し小さな明時代の酒会壺が、四川省巴中県玉井郷で 1955 年に にもかかわらず完璧に穴を塞いでいる。
発掘されている(Longquan Celadon: The Sichuan Museum Collection, op. cit.,
pp.162-3, no.55 参照)。さらに、清香美酒の四文字と曲線的な装飾が施された ロンドンのサー・パーシヴァル・デイヴィッド・コレクションには、これと非常に
明時代の壺が、北京の故宮博物院に所蔵されている(Celadons from Longquan よく似た同じ高さの花瓶がある(Illustrated Catalogue of Celadon Wares in the
Kilns, op. cit., p.262, no.247 参照)。南宋時代の壺が固定式の平らな底をしてい Percival David Foundation of Chinese Art, London, 1997, p. 35, no. 238 を参
るのに対し、元や明代につくられたこれらの壺は、藤田美術館の所蔵作品と同様、 照)。パーシヴァル・デイヴィッドの花瓶には、胴と肩の接合部に見られる隆起し
独立したソーサーのような形の底がはめ込まれている。 た線や胴の下部にある 2 本の浮彫の線を含め、藤田美術館の花瓶と同様の装飾
が施されている。デイヴィッド・コレクションの花瓶の首には、下辺が開花した蓮
明代初頭になっても龍泉窯の青磁は、中国国内においても、アジアの他の地域へ の花で上辺が蓮の葉で装飾された矩形が見られ、その中には釉薬の下に次のよう
の輸出品としても、高い人気を誇っていた。龍泉窯で作られた陶磁器の中には、 な銘文が刻まれている。
都から派遣された官吏の監督の下、宮廷のために作られたものがあった。『大明会
典』巻 194 には、洪武 26 年(1393 年)に、皇帝のためのいくつかの器が、饒 景泰伍年福里鎮安社信人楊宗信喜捨恭入本寺供養□自身延壽者
と処の窯、すなわち江西省景徳鎮窯と浙江省龍泉窯で焼成されたと述べられて
いる。 「景泰 5 年(1454)、福里地方の鎮安村在住の檀家である楊宗信は、長寿を祈念し、
仏前に供えるため、謹んでこれ(この花瓶)を地元の寺院に奉納する」
洪武二十六年定、凡燒造供用器皿等物、須要定奪樣制、計算人工物料。如果數多、 台北の故宮博物院も藤田美術館とデイヴィッド・コレクションの花瓶と非常によく
起取人匠赴京置窯興工、或數少、行移饒、處等府燒造。 似た作品を所蔵している。この作品も、肩下部の接合部分に見られる盛り上がっ
た線や裾の部分に見られる二重の線が共通している(Tsai Meifen ed., Green:
『明宣宗實録』1 巻によると、天順 8 年(1464)に憲宗が即位し、その翌年に成 Longquan Celadon of the Ming Dynasty, Taipei, 2009, pp.158-9, no.81 および
化年間が始まると、恩赦が発令されたと記されている。また、江西省の饒州景徳 表紙を参照)。台北の花瓶は藤田美術館の作品よりわずかにサイズが小さいのだ
鎮と浙江省の処州龍泉窯で陶磁器の製造を監督するために政府から派遣された が、故宮博物院はその制作年代を 1435 〜 1460 年と定めている。藤田美術館が
官吏は、皇帝の勅命が下るとすぐ都へ帰還しなければならなかったと述べられて 所蔵する明代の龍泉青磁の花瓶も 15 世紀半ばの作と考えるのが妥当だろう。
いる。このとき、製造されている陶磁器のうちの完成品は記録され、未完成のも
のは製造を中止しなければならなかった。勅命に従わなければ犯罪とみなされた。 『龍泉縣志』(龍泉風土記)には次のように記されている。「成化・弘治年間(1465
このことから、遅くとも 1465 年すなわち成化元年には、龍泉窯で官用陶磁器の 〜 1506 年)以降、(龍泉窯の陶磁器の)フォルムは荒々しく、色彩は魅力のない
製造が行われていたことがはっきりわかる。 ものとなり、もはや洗練された優美な趣味とは相容れないものとなってしまった。」
藤田美術館所蔵の明代に作られた龍泉青磁の背の高い花瓶は、15 世紀の “鳳尾 成治以後、質粗色惡、難充雅玩矣
尊” の稀少な作例である。肩と胴の上部の周囲には精緻な牡丹の装飾が施され、
細長い蓮弁鎬文が胴の下部を帯状に取り囲んでいる。同じく藤田美術館が所蔵す したがって、藤田美術館が所蔵する明代の花瓶は、印象的なフォルムと釉薬を特
る元代の花瓶よりもわずかに黄色みの強い釉薬をまとっているが、これは明代初 徴とする陶磁器が宮廷や特権階級の使用に供するため名高い窯でまだ作られてい
期の龍泉青磁に典型的なものである。藤田美術館が所蔵する元代の龍泉窯の花 た時代、すなわち龍泉青磁の最後の黄金期を代表する作例なのである。
瓶の場合と同様、明代の花瓶も器が焼成中にひび割れたり歪んだりすることなく
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