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C.歴史という織物:古代という縦糸と植民地時代という横糸 ナイジェリアの歴史は、古代文明、多様な移住時代、植民地時代の影響 から織り成されたカラフルなタペストリーと言えます。現在の国境線が引 かれる前から、この地域には文化的に消せない痕跡を残したままの洗練さ
れた社会がありました。
この地域で最も古い文明の一つは、紀元前 1000 年から紀元後 500 年の
間に栄えたノク文化です。素焼きで仕上げるテラコッタ彫刻で有名なノク 族は、西アフリカの製鉄の基礎を築きました。その遺産は、現代ナイジェ リアの芸術の伝統に今も見ることができます。
南西部には、11 世紀頃にイフェ文明が現れました。青銅とテラコッタの 自然主義的な彫刻で知られるイフェは、政治、精神性、芸術の中心地とな りました。イフェの子孫のヨルバ族はいくつかの都市国家を築きましたが、 最も有名なのはオヨ帝国で、最盛期には広大な領土を支配していました。
北部には強力なイスラム帝国が台頭しました。9 世紀に遡るカネム・ボ ルヌ帝国はイスラムの学問と商業の中心地となりました。ハウサ人の都市 国家、そして後にソコト・カリフ国がこの地域の政治と文化をさらに形成 しました。
南東部では、イボ族が独自の分散型統治システムを発展させました。村 落における民主主義を特徴とするその社会は、近隣のヒエラルキーによる 社会構造とは対照的でした。
異なる地域を支配するヨーロッパの植民地化が進むにつれて、生活様式
はさらに影響を受けました。
大西洋を横断する奴隷貿易は、ナイジェリアの人口構成に大きな影響を 及ぼしました。さまざまな部族の何百万人もの人々がナイジェリアから強 制的に連れ去られ、アメリカ大陸の各地に移送され、アフリカ系移民が生 まれました。アフリカ系ブラジル人、アフリカ系キューバ人、アフリカ系 トリニダード人などと呼ばれるこのような奴隷の子孫の一部が帰還した ことは、文化的多様性に貢献しました。
1914 年は重要な年であり、この年にイギリスの植民地行政官であったフ レデリック・ルガード卿が北部保護領と南部保護領を合併し、ナイジェリ アが誕生しました。この人為的な統合により、歴史、文化、政治体制が異 なる多様な民族が単一の行政機関の下に集められ、現代のナイジェリアの 複雑で活気に満ちた体制が形成されました。
D.信仰的な風景:ナイジェリアの宗教的モザイク 宗教はナイジェリアの文化と社会を形成する上で、重要な役割を果たし
ています。ナイジェリアは宗教の多様性で知られ、さまざまな宗教が共存 し、国民の生活に影響を与えています。おもな宗教には、キリスト教、イ スラム教、アフリカの伝統的な宗教があり、その他の宗教を信仰する人々 も少数ながら存在します。
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