Page 171 - 大井城OCR
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北佐久
志
郡
も
で
た
に
し
で
た
し
た
の
、
が
て
その
当時
村上
大
に
で
今
あっ
氏
、
母
方
抱か
信濃
の
加え
呼ぶ
関東
の
た
れ て
。
永
兄
享
信濃
・
基
室町
管領
、
任 に
と 。
で
敗
関
持
と
東海
三男 氏
に
て
幕府
そ
市
の 将軍
十
持氏
当り
の と
十 二 年
氏
は 鎌倉
井 光る
に 援軍
の
た で そ
の
・ 東
郡
東 の
れ 氏
の 守護
を
( の 横浜 )
た
東
の
を
の
享 乱 大
、
、 れ
に
義教
し
よく
井
以来
ん に 鎌倉 出兵
を
に 移し 翌 一 年
当 三井
は
の
小笠
あっ か
憲
が 組織
た
ら
こ れ
氏
甲斐 加え
管領
は
(一 四
後
派 て
村
原
大
た
そ
が
北 地 、
この
を
され
持 二子
(一
山 の 諾 将
方 人
し 。
〇
春
四 )
称名
の は
に
の
康
関東
る
する
安原
は 自殺
寺 に
王 ・
派遣 か
政 は
寿
を
の
持氏 と 教
三
代
、
し
十 箇
事
国
小 の 豪族
安
鎌 勢
部
た
時
月
入っ
幕
管
どう
四 九 )
で
関東 便
を
反抗 て 、
享
利
と
上 杉
こ
、
か と
力 内 まで
持氏 対
的
永
上
あり
の 安養寺
鎌倉 代 ら
二
永 十
備え し
ら で あ 。 々 この
が 古い
持氏 反 府 た
か の
王 は 日
月
杉
な
し 。 れ
永 王 を 保護
倉 は 防戦
憲
時 、 の 権力 確立
追 の
の
陵
た が
及ぶ
寺
し
に
命
た 時 足 尊 は
いう
て 出家
と
た
支配
後
れ
態度
光山
時
を
に
する た
氏 まず
年 (一 四
間
た そ
し が
そ
ゅ うき
た
に つと
育て 。
自害
た
内
実 の に
に
を
に 慎
め 、
発し 。
中 に
組織
は 応永
め た
氏
を
要
来
陸奥
へ が て た
こと が で き
氏 写 (禅秀
逃れ
三信)
者
が
守護 初め
し
な
幕
その
の 意見
、
、
の 支持 で
。
の
義
て
い
、 府
が
突
つい
月
・ 出
二 十 三
来
せしめ 。
旧
子 論
と いっ 。 の 支配
人
は
た こ
まま
羽
王
衝 が
の
、
も
を
の
在
御家 層
末 子
これ
九 一
養
と
と
相違
年 (一
いた で
四
、
心 し
、
た
お
する ころ
加え
鎌倉
の
三 、 常 の 結城 朝 春 ・ 安
も
の 地
で 、
られ
は
、
一
に
は
の 永 寿
起 っ の 、
王
が
に 敗れ 持
安 寺 の 住
維持 て
王
を
勢力
状態 大
に
あり ま た 領主
し いた
憲
の
の
は
が
が
と
。
。
を じ
も
を
幸 て
た し
、 の 後 基 氏 の 子孫 相次い
部 の
門 よび 同志
と
関
次
を 鎌倉 永安
和
前
置き 、 い
事件 永 の
強かっ
述
で
関連 あっ た
を
の
は 乳母
に
を 中 と て 持氏 戦っ
か
で あっ
寺
信州
勢力 圧迫
享 乱
六 ) こと
と
僧 この 乳
分 地
。
実 後援
氏 は 金沢
挙
て
た
四
な
人
いっ
し
か
具
大
て
て
と
し
々 の
た
兵
た
この
た
。
よう
四 |)
。「
同年
す に
届 けた
と
も
。
っ た
か っ た
。
し
、
名
に
応仁
で
で
三
に
た
、
が
ま
こと
以降
一 一 の
の
結
は
こ
住ん いる
四
及び
、
、
た
が
全
を
陣
と
、
と
の
(一 四 四 〇
、
、
の 垂井 暫 ら 、
見
夜 交代
れ
月 に
井 河 守 ・
方
に に 永 王
いう は 和
上
また
)
が える
て
結城
て 幕府 に
城
行動 出る いっ た
他 の 人
町
信濃
持
で
光
。
後
帳
へ の 推移 示し いる
面
が
公
守護
寿 ( の
休戦
れ
結城
至り
々 は
警固
室 幕府
河
場
従軍
寿
の 諾
、
」 は
一 、
落ち 、
杉 房
将
古
て
合戦
に
し 、
と
国
血縁
も
永 王 は
は 家臣
そ
同
見
幕府
じ
合 に よっ
威
は
大 井 内 守 ・
は
河 公
と る
て
こ に よっ
重 が 上
入 月 大 井
く
城 番 に この
大
氏
関係
。
と 矢倉
の 権威
古河 方 いわ
が この
方
野
の
を
わずか
持
て
は
が
が
の 芦田
れる
守護 手
番
よう
井
。
に
守護
朝
前
以
衰え
こと で
三
光 は
の
の 令 よく
馬
出
に
に
の に
憲
佐久
主 す
に
の 勢 千
下
て
兵
・ 清
し
属し
を
野
。
小笠原
上 杉 実に
| 足利 氏
国内
を
これ
期
余
大
た
と る
免れ が
数
起
に
た 、
因
し
井 氏
て
対 守 等
佐久 大 氏
多 の
と
と
の
康
が きる な
及
の
動き
力
行動 異
の 人
に
を
佐久
お
戦 に 参加 た 諾
将
て 統率 を
ら
当っ どい う
者
井 の
か 、
ん で
大
れ
が
守護 命令
一
一
後
し
政 は 信濃
井
た
し
失う 、
て 氏 朝
二 を し
氏
命じ 結城
と う
こ
だ め
で 、
の
する いら 、
て 参戦 と
族 は
成 ) の 縁故
に し
結城
の 名 を
門 に お
で
死 、
討伐
一 二
族
いた こと
いわ 、 れ
に 鎌倉
に 応じ
誉
で
を
は
合戦
同 も
の 大 小
の
を
一
地
も
を
王
濃
も
げ ぉ
寿
いて も 、
防い た に つい
で
族
奈
嘉
と
に
と 信 は
勢
開始
族
と
各地
て おり
主 な
的
信濃 に
ある
も
十
を
挙
志
、
安 春
な
、 の 例外
は
は
こ
示す の
礁 峠
を
考え
し た
みて よい そ
すべ
守護
三 組 に
、 吉元
られ
て
た め 、
で
の
氷 を
年
は 加わ
果
に か
と り 成
(一
氏
族 同一
に
に
け
附 て 永 王 を 結城 送
持 光 は 前 に 述べ
越え
分 れ
分 、
せ
と
る
ら
縁 分 権化
服 て 統制 行動
引
あっ た
王 美濃
小笠
中
小
。 うし
| お 1 に ろう 出 に 日 (3) 。 き な よう 、 り る

