Page 233 - 大井城OCR
P. 233
建 中 興 を 中 と し た る 信濃 勤王 史 到
武
心
で
て
く
れ
護
こと
・
する
な
する
で
第
脈
所
せ
に
。
を
ある
町
褒
ここ
甲
本
た
ん
三代
に
形勢
髪
な
を
あり
正 長
に
、
吉野
勤
を 引
幕府
し 和
に
じ
に
通じ
か
し
元
現
間 上 野 と
っ て
の
旨
する
て
朝 除
っ た
洛
年
膨 と た
來 。
く
。
た
於
従っ 、
初め
泣
っ
た
小 伴 氏 の
出 し
こと
氏 の
四
て
か
境 を
、
時
ら
甲
、
第 範
至っ か ら
を
、
義持 て 後 剛
信
滞 上 野
斐
逐
開
と
全て 区画
そ
より
幣
援
を
信
八 月 越後
濃
後 に ける 紛
た 。 こ
濃
接し 、
守
て 幕府
た
と
艇 果断
を
以 の
、
し
幕府
任命 守護) 新 に
て 鎌倉 連絡
・
に
( 押
守護
は
府
家 代 っ て 軍 らん
後
東 領
奥 鐘
信濃 於
軍 は 開
に
開
後
愉
と
原
後
管 の
の
難
園
東
二
原 と 衝突 結果
ける
補 て
・ 越 は
越 の
東 所
東 十 箇 は
の 義教
報じ
千
で 幕府
護 それ
する
府
この
尾
管
越 ・ 駿
國 人
"
が
管領
調 ば 二 大
足利
幕 中 と
州 も
、 幕 の
の
、 た
は 開
任 し その
河
拝
代 長 序
分裂
小笠 ・ 村
・ 越 の 新 田 は
を
敵
ま 間
東 の
閥
上
ら 豪
至 た
の
景
に つ 。
の 分 國
府
勢力
以西
間
を
の き
と る
後 京都 軍 の
東 の 分
鎌倉 の
教
族 信濃
田
斐
勢 の
に
有する
管
勢力
を
係 つい
る
國
大
確 は
分
分
水 馬
勢力 衝突
加 は
氏
雨
下野
は 将軍
代表
の
國
、
殺 ぎ
國
地
氏 は 心 く り
に
内 に
軍 な に 及び
の 佐久
、
する
で
雨 力 当 立
守
器
族 の 小
と
も
て
は
を 所 す こと な
甲 ・ 常 陸
堂
の 分
は 、 持 が 御
等
紛争
ある 、
、
、
、 ら
が
と り
定め
生 く じ
干渉
・
な も
府
幕
何れ その
教書
守護
述べ お
濃
國 し
者
至り 遂 に
上
た
某 る の
と な つた
来 つ た
が 断
其
三家 村 ・
て く
氏 交渉
野望
と
北信 の
の
現れ
小 位
に 幕府
起
わけ
に て
自 公 と
を し
敏 て
っ 。
倉
鎌
を 加 へ 、
京都
権
氏
必
の
・
一
方 移し
幕府
の 威 を
信濃
雨 反目
豪
扶持
信濃
られ 。 る
が
し つつ
諏
述 、
鎌
外 ら
。
、
で ある
租
衆 (
穫
倉
要 ある
に な な
。
確立
分 た
前 了
の
越後
に
の 勢力 々
庶 と
あつ た
國 る
旨 村上 と
い 。
抗
を
秀
佐久 に
治
以 て 鎌倉
随
せん
立
然 に 開
府
國
後 は
つっ
幕 の
は 層 激 し
原 に 半 する
の
人
郡 兵
東
は
と
の 管 する
の 統
勢 の
甲
訪 氏 無
守
己
折
人
増大
平
室
、
し
し
氏
し
氏
由
を
た
。
め
あっ
ある
此
を
の
せ
か
城
た 。
。
た
倉
直し
佐久
を
報じ
を
に ふ
け
を
政
享
兵 率
、
永
み
は 大
ら
守護
を
守
軍
を し
し た
康 の
及び
降 た
井
し 。
、
停 め 。
雨 史
報じ
の 大
五
て
し た
は
千 川
て
高梨 大
年
所
援 め 。
持
護
備 る が
府
を 、 氏
常陸
井 持
こ の
営
た
間
鎌倉
第
井
の 策
は
義宣 討た と
戦
あつ
曲 を つ
小笠
七
政
は
兵 受 て 大 氏
の 事情 次 に
濃
た
是
村
原
。
月
氏 と 同族
信 月
幕 信濃
に
て 東信 に
撲
で
氏
光 は 隣
が 密書
と
康
勢力
入り
援
急迫
時 に り 、 上
に 具 じ 、
雨 の
・
か
於
圭 の
を
し
深 て 先ず
、
ん せる に より
政 は
方
守護
、
海野 津
滞 信
を け 、
、
族
容 。 に て
ある ら
大
を 三河
董
康 は 第 を
政
突
國
の
佐久 小
懸
よ
田
て た
来
菌 氏
また
及
氏
こ
を
井
西
田
軍
誰 た
北 り
替 了 合
は
苦 氏
田 と
持 光
康 び
幕
府
文字 一 の 庶 と 謀 し
上
し て も 、 れ
。
の 豪族
田 の
永
亭
た
隙
ら
を
を
御 は 早晩
膝
加
七
の
は 政
幕府 小笠
あり
に
興
略し 、 然
し
整
年
輔
か
六 家 に
撃破
原
調
政
し 。 か
員
津
河 守 護
誠に
正月
延
合せ 、 董
、 越 の
討た と
族
丘
る 後
、
清
子 中 務 大 類 は
る
田
し が 議 は し
た
は
進
更 る べから
ん し 。
駿河
間
今川
し が
送っ 之
出動 より 苗 氏 の 治 は 引 た 、
東園 通ずる 要衝
を 小
の
後 守護
に
側面
年 二 月 義教
誠 を 巴
庶 大
粘
命じ 、 董
ざる も
政
氏 と 隙
の
ず て 干
より
し
誘
田
野
代 最
今川
し
會
康
て を び
拒
園
東
を
ん で 佐久
秒 に 攻め
事
園 せしめ
尾 上
氏
郡
忠
孝
は 政 に
の
、
範 を 國 に
月
討つ
・
、
、 に 交戦 よう し
持氏
ん 。
に
の で あつ
芝
倉
就
共 で
式 に 及 だ
於
を す と
永 入 年
村上 の 本
た
も
か
を
。
と た
鎌 に
信
命じ
三
て
を
に ける
の
津
範 は 持氏
め
が 陸奥
に
ある
終
て
の
野人 部
で
合 て 守護 抗
生田
これ
小
政
井
別
座 し
こ
難
停め 門
を
わけ
せん
、 竹 ・ 望 了 ・ 上 ・
景 と
康
せ
式
濃 警
入り に 董 田
康 ち
害
の
月 政 は
出兵 企
告 合
・ 内
で
ある
婦 川 中 島
せ
。
と
ぜ むる
電
知ら が
の 佐竹
笠原
幕府 鎌
調
し 、 れ
ー
1
アフ
で

