Page 38 - 式文 2026
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再び心を励まし、なお待ち望む。
主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。
「あなたの真実はそれほど深い。
主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い
わたしは主を待ち望む。
主に望みをおき尋ね求める魂に
主は幸いをお与えになる。
主の救いを黙して待てば、幸いを得る。
若いときに軛を負った人は、幸いを得る。
軛を負わされたなら
黙して、独り座っているがよい。
塵に口をつけよ、望みが見いだせるかもしれない。
打つ者に頬を向けよ
十分に懲らしめを味わえ。 (哀歌3章21節~30節)
わたしは魂をひたすら知恵に向け、身を清く保って、知恵を見いだした。 わたしは知恵とともに初めから理解する心を得た。それゆえ、わたしは 見捨てられることがない。わたしは情熱を傾けて知恵を求め、そのため、 良き財産を得た。 主は報いとして滑らかな舌を与えてくださった。わたしはそれを用いて 主を賛美する。
わたしのそばに来なさい、無学な者たちよ、 学舎で時を過ごしなさい。 なぜ、いつまでもそのままの状態でいるのか。お前たちの魂は激しく渇 いているのに。わたしは口を開いて語ってきた、 知恵を得るのに金はか からないと。
軛の下にお前の首を置き、 魂に教訓を教え込め。 知恵はすぐ身近にあ る。目を開いて見よ。 わずかな努力で、 わたしが多くの安らぎを見い だしたことを。
(シラ書51章20節~27節)
これらの言葉は、イエスの招きを古代ユダヤの知恵の伝統と結びつけて、 マタイによる福音書 11 章 28 節~30 節の意味を明らかにしています。安ら ぎを得るには、ただ単に重荷から解放されるという消極的なものではなく、 知恵と理解を積極的に追い求めることが必要であることを示しています。 イエスの 「軽い軛」は神の知恵の軛であり、苦難の中でも、それを求める 人々に安らぎと理解をもたらすことを示唆しています。
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