Page 258 - Christies March 15 2017 Fujita Museum
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仏像の背後に立ち上がる光背は、集団の背景となって全体の構図をまとめあげて                                                         頭光が仏陀の頭部を取り囲み、その仏格を伝えている。十大弟子のアーナンダ(阿
おり、仏としての立場を象徴している。蓮の花弁の形で複雑な装飾が施された光                                                         難陀)とカシュヤパ(迦葉波)が仏陀の左右に立っており、菩薩が全体の構図の
背は、周縁部が炎のような形をしていて、中心部の開花した蓮の花が仏陀の頭光                                                         外側の端に立って集団を完成させている。二人の天人が中心的な仏像を支えてい
の役割を果たしている。この光背は、様式的にはフィラデルフィア州ペンシルベニ                                                        る台座の下の段に跪いて礼拝しており、手を合わせて合掌印を結んでいる。天人
ア大学考古学人類学博物館所蔵の 536 年作とされる名高い金銅弥勒菩薩像の光                                                       たちの間には博山炉が見える。漢の石碑タイプの仏碑像は、多くの場合、上部に
背とほぼ同じと言ってよい(C355)。5                                                                         天蓋のある須弥壇のような設えの中に図像を描き出していて、それは下の縁が波
                                                                                             うった飾り布と、両脇で支えている垂直の柱に垂れ下がる飾り房によって示されて
仏像が乗っている脚付きで下部と明確に区切られたテーブルのような形の台座は、                                                        いる。また、天人たちの存在と仏碑像最上部の蓮の花が天界であることを示唆し
ペンシルベニア大学考古学人類学博物館の弥勒菩薩のそれと様式上極めてよく似                                                         ている。
ている。藤田美術館の三尊像の台座前面に刻まれている銘文には、一切衆生が
悟りを得ることができるよう、526 年にこの仏像を作らせたと記されている。イ                                                       隋時代の四面仏碑像の背面の壁龕は、脚を垂らして玉座に腰掛ける弥勒菩薩(釈
ンドの仏碑像に銘文が見られることは滅多にないが、多くの中国の仏碑像にとっ                                                         迦牟尼仏の未来仏)を表象している。弥勒菩薩は右手に施無畏印、左手に与願
て、刻まれたテクストは重要な特徴となっている。                                                                      印を結び、教えを説いていることを示している。側面に立つ二体の菩薩像と同様、
                                                                                             古代インドの王子の衣を纏い、結い上げられた凝った髪型を帯状の髪飾りが囲ん
526 年の釈迦三尊像と対照的に、隋時代に作られた小さな四面仏碑像は漢王朝                                                        でいる。仏たちの脚は、壁龕の下の石に彫られた蓮の花の上に置かれている。蓮
の伝統的な石碑を再解釈したものである。漢時代の石碑は伝統的にサイズが大き                                                         の花と様式化された蓮の葉が、壁龕上部のアーチの上に見えるが、これはインド
く、上部が丸い直立した長方形の石のブロックで、葬儀や慰霊や教訓のためのテ                                                         の寺院のアーチの形を引き継いでいる。この壁龕の仏像には、赤、青、緑、黒、
クストが刻まれているが、この種の中国の仏碑像では、仏陀や他の仏たちのイメー                                                        黄土色など、かなり多くの色彩が残っている。この仏碑像の幅の狭い側壁にも仏
ジが、漢の石碑に不可欠な特徴であるテクストに取って代わっている。こうした                                                         像が彫られており、片側には施無畏印と与願印を結んだ仏陀立像、反対側には菩
仏碑像において、仏像は、すべてを包み込む大きな光背の前面に高浮き彫りで描                                                         薩立像が見える。
き出されるのではなく、壁龕内部に浅浮き彫りで表象される。そのため、仏碑像
の表面は平坦で凹凸が少なく、526 年の作例のようなインドの影響を受けた仏碑                                                       6 世紀初頭、仏教の僧侶たちは歴史上の仏陀釈迦牟尼(紀元前 563 〜 483 年)
像と著しい対照をなしている。さらに、漢様式のタイプの仏碑像は、大抵、石碑                                                         が生きていた時代から、およそ 1,000 年が経過したと推測していた。学者たちは
の前面と背面の両方に複数の仏像を配した壁龕を有し、幅の狭い二つの側壁には                                                         千年紀が目前に迫っていることに気づくと、釈迦牟尼の時代が終焉を迎えると考
内部に一体の仏像を配した壁龕がある。                                                                           え、その結果仏陀の未来仏である弥勒菩薩に対する信仰が高まった。弥勒菩薩
                                                                                             は大乗仏教の伝統の最も初期から崇められていたが、弥勒菩薩の時代が始まろう
藤田美術館の隋時代の四面仏碑像では、歴史上の仏陀釈迦牟尼が前面の壁龕の                                                          としているという考えが広まった結果、6 世紀から 7 世紀の美術にますます頻繁
中央で長方形の玉座に座って瞑想している。仏陀は右手に施無畏印、左手に与願                                                         に表象されるようになり、この仏碑像に示されているようにしばしば仏陀釈迦牟
印を結び、教えを説いていることを示している。背後の壁に赤で描かれた円形の                                                         尼と結びつけられるようになった。6

5 Dorothy C. Wong, “Maitreya Buddha Statues at the University of Pennsylvania Museum”,       7 松原三郎『中国仏教彫刻史論:図版編2 南北朝後期〜隋』、(東京:吉川弘文館)、1995
Orientations, vol. 32, no. 2, 2001, pp. 24-31, plate 29 参照                                   年、544頁を参照

6 世紀における弥勒菩薩に対する関心の増大については次を参照: J. Leroy Davidson, The Lotus                                 8 Kristin A. Mortimer, Harvard University Art Museums: A Guide to the Collections,
Sutra in Chinese Art: A Study in Buddhist Art to the Year 1000, (New Haven: Yale University  (Cambridge, MA: Harvard University Art Museums, and New York: Abbeville Press), 1985, p.
Press), 1954.                                                                                26, no. 20 を参照

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