Page 196 - 大井城OCR
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志
南佐久 尋 は な 名 る 条 に の の 追 京都 を 得 る 、 れ 進め 大 満 の は 期 く
郡
、
、
東
ず
の
これ
、
り
られ
氏
げ
疫
が
輔
ども
地
く
に
虜 や
被り
然 も
管
応
を た も
り ひ 出 、
に
し
証 惹起
を
に
を て
の
錦
の 足利
義
な 。
権
を 、 内
若く 自ら
る
方 の
倉
鎌
に き ら 。
至り
禅秀 乱 り
せり
京都 宗家 し
政 に
に
て 、
幣
は
を
受け
た
義員
永
。
穏
後継
を て
誠
ろ
し 、 更 中 軍
信州 通る 其
義 更 其
享 十
此
満
た
入り
子 久 は 父
殺
弟
の
弟
義弘
、
みな っ
加 く 乱れ
と
と
一 年
と
援助
ら 、 て
領 名 は 其
八代
其 持
早
義弘 せ る
二
た ば
羽
軍 らん と
護
、
らん し て
件
握り れ 、
( 幣 軍
清
都
後 須
後
命令
政 を
春
く 取
持
永 二
て 應
後
東 の
ず 即 憲
共に
を
し が 憲 氏 の 弟 氏 に
志
軍
の
幣
相
持
、
ら に 及び
翌年 王
嘩
園
吊
死
知 開
父 の を
月
の 子 氏
る
擁し
は
義 の
を せ 、
東
東西 呼
を
奉 ず
ふ
。 は 鎌倉 執事
営
然
距
疑
な か
ひ
ま れ 、
管領
を 得
鎌倉
管
足利
弟 )
し 、 上
年
の
安 は
第
を
し
て
名
氏
を
殺
に 野心
らし
氏
ず 、
庄 相 攻 し
、
憲 の
義政
て 自立
と る
側 し
事
氏
寺
事 た 上 杉 に
満 は
めし
幣
の
二 男 春
侯 て
王 結城
の 野心 生ずる
十
上
上 杉 憲
と 策
應
包 し
永安 に
一
氏
教
に
寧
乱 持氏 次 に 野心
と て
し
於
朝
襲 て を 氏
(
結果 し 、
な に 及び
、
、 軍
畑
義 喘
上 永 享 四
執 杉
に
を
の 形勢
し
買
て
三
十
向
と て 下
成 と
を
の
日 な く
王 三男
を
至る
時 に 至り
は 僅か
乱
道 名
ふ 、
られ
憲 氏
安
義満
激
替
遂 し
憲 の 二
に
即
と る
て 自殺
切
王
懐柔 て
氷
を
年 四 月
せ しむ
苦 、 代
者
は
し
示せ が
軍 な に
し 、
改め り
匂
し
満
た 。
成
ほ せり
せり
の
に
、 氏
り
に 初代
唱 へ むる 至れ 。
鉄
日
之
天 上
易
都 軍
と
期
こ
こ
禅秀 ) 持
、
に
及び
、 素 王
軍
雨 間
終
に を
城 り 、
京都
先
京 幣 と 相
。 れ
り
す る 所 な 、
。 れ
長尾
の
起 、 づ
氏
盆 々
詠む
意
を
持
至り
て
れ
有
に
。 ち 負 氏 の
又 刺 軍
の
義 の
の 基 氏 の み
名
光 に 麺 四
疎
持
昌
氏
即 ち
されど
訴 へ
の
に
遺志
満
失
な
氏 を 慢 む
抗
義政
基
皆
に
る
局 持 氏 幣 軍
。 る 次 な ば
氏
は 更に
を
事
難 る
男
享
か
も
り
の
府
する 、
大
豊
成 時 代 に は
ず や 、
義
其
二 子 慮 な
上
第 れ 開
腔 不平
、
鎌倉 間 事
と か
聴か
等 迎
賢 に へ
の
て
に
よ
と り
永 王
歩
ざ
孝
善 ら
鎌倉
明らか せり
無き
持
氷 知
。
を し 、
あ て
、
子
隔 し 一 内
兵 を 結城
杉
東
開
め 京師 られ 手
く
を
ら
ず
、
は
、
か
さん
十
月
。
の
の
殊
上
科
倉
群
兵
、
く
と
戦
を
以
寧ろ
と
を 中
に
せ
て
南
持氏
の
は
國
も は ず
正
功名
應
に
域
州
係 ら 、
出す
し
境 村上
に 接近
後に
受け 安
鎌倉 入り
年 杉
信濃 の
上 の
に
を
し
、
鎌倉
郡 他
康 長
を
佐久
鏡 倉
心 し
て
父
如き
北
の
北朝
を
と 夫
の
の
顎 は
間
至り は
、
信
は
形勢 棄 に 戦
蔵
と て
あり も
使 鎌倉
其
管領
左京
園
、
し
款 交
開 交渉 保っ
系
て 、 和
起り
永安
に
せり
以後
地方
太夫
寺
後
遣
於
禅秀 王 澤
痕
武 上 に
地
方
に
於
必ず
に
執事
境
、 の を
し
し
守護
上
配下 加
を
の
と
小栗
に
於
襲
ず と こ
の 兆候
清
も
往 繁
其
疾 と
し
重
ひ
居り も の 、 加 。
べから 』 、 れ
満
の き
の
は て
杉
より 小 を
な し
の
原村 安養寺 鞭
境
接する
配下
偉 へ る
育
に
こと 六
ら 。
領
憲
は
を
、
心
て
に
の
氏
、
永年 に ける 禅秀 乱
り より
を
せら
勢力
小笠
成
て 自 の
原
し
を 呈し り
陸
野 も 所 有 、
た 。
争
ひ
又
れ
成 と
より
し
で
し 、 常
軍 直轄 地 し
氏
格 を 呈 り
る
せ 。
移
て
豪族 交通
を
に
に ける 足利 氏 時
の
地
に
の
、
し
常 國
妃 際 、
之 謗
。 永
大
の
面 大
代
土
享
ふ
享
豪
城
に
援 を 持氏 錠 。
属す 閥
近隣 庶
麺
係
め て
大
事
度
教
懸 組 境 科 下級
時
墜ち
鎌倉
た は
井
於
州 は
城
範 に
総
永 改 年 十
れ 和
開 上
結 合戦
曰く
全く に 、
服
戦
和志 合
て 其 迷 に
動
小栗 に
管領
に 至る
れ
氏 の
東奥 に
一
の 争 。
管領
井
も
せ ず
まで
氏
接
る すでに
所
月
に
営 大 の
加
き
持 之
是
於
確 遂 に 合戦
止み
すれ
羽 大
た
政 治
に
等
り て
ば
的
る
に
り
を
殊
に ける
[信濃
れ て 佐久 入り
は
た 。
に 接近
、
に ける 足利
信濃
前
綿
北
し
に
和
及び
痛
き
持氏
た
る
と
調 信
を
重大
係
又
持氏 信用
を
守護
大
軍
、
の
せん し
せら
し 際
之 が 影響 被
開 に
と
小笠
小笠
述べ る
し
永
於
、
方
亡
原 の
影響 及ぼ 、
れ
り
は 幣 の
許 し 負
清
永
は
と
護 束
爾
た が
佐
管
さ に
原
、 に 應 七 年
原 の
洪 。
持 の
即
隔
の 加 き
隠棲 たる 永 王
、
國
4
原 村上
加
て
小笠 政
を
し
康
れ 。 ち
族
持 は
令 る 大 井 光 、
し 、
に て 、 之 が 守護 小笠 氏 ある
享 十 一
、
粘
井 光 棄
。
より 、
管
氏
一 な
結
久
いて 二
事件 皆 倉
は 、
の
年 二
は
雇 永 三
城
轄
郡
、 の 軍 利 ああ
車
に
族 る
抜
鎌 公
我
護
と
大 合
兵 起
地 の 雄 の 多
後
鎌
一
ー187 佐久 も に 東 も が 必 方 役 以上 の

