Page 20 - Sotheby's New York Linyushanren Part IV Auction September 13, 2018
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「磁州窯陶器の尽きない魅力」


                 シニア・インターナショナル・アカデミック・コンサルタント ローズマリー・スコット









                 中国陶磁史のなかで、磁州窯の陶器として知られるものほど、その装飾                    掛けに透明釉を施された無地の磁州窯陶器の異名となっている。これは
                 技法の多様性が際立っているものはないだろう。今回の出品作品は、造                    西洋においてもある程度同様で、白無地陶器、特に水注は「鉅鹿窯系」
                 形、装飾技法、双方の点から非常に興味深い作品群である。特に装飾文                    と呼ばれている。この種の器の破片が多く鉅鹿県から出土しており、パ
                 様のないもののなかには、当時の居住区の遺跡、河北省の鉅鹿県で出土                    ルムグレン博士は、これらが鉅鹿県で焼かれた可能性に言及している
                 したものと推定出来るものがある。 三明寺の妙巖堂 にある宣和3年(                   が、確固たる証拠は乏しい。鉅鹿の白無地陶器で共通しているのは多く
                 西暦1121年)頃のものとされる石碑には徽宗皇帝の治世(1107-1110)、大            が表面に貫入があるものが多く、そこに赤っぽい色素のしみが付着して
                 觀2年8番目の月の辛巳の日(西暦1108年9月10日にあたる)に黄河が                 いるが、おそらく鉄分の多い土のなかに長く埋没していた結果であろ
                 氾濫し邢州の広い範囲が洪水に見舞われ、三明寺の石塔と羅漢堂を除い                    う。この鉅鹿県系の白無地水注2点が今回出品されている(ロット802,
                 て鉅鹿県は水没。20フィート(約6メートル)の土砂に埋もれたことが                   838)。  興味深い事に同様の白い水注で赤いしみがないものが磁県の
                 記されている。従って、1108年がこの地からの出土品のterminus ante            漳河岸の觀台窯でも発見されている。(觀台磁州窯址 The Cizhou Kiln
                 quem(年代比定にあたりこの年以前のものとする)と推定される。                    site at Guantai, Beijing, 1997 – a report of research carried out by the
                                                                     Department of Archaeology, Beijing University, the Hebei Provincial
                 1918-19年に地元の労働者がこの歴史的な遺跡の痕跡を発見し、翌年の                 Cultural Relics Institute, and the Hand an Regional Cultural Relics
                 1920年に干ばつの時期を受けて井戸を掘っていたところ、大量の陶片が                  Protection Agency - colour plate VI, no. 4参照) したがって、鉅鹿県で
                 出土した。1920年後半に天津博物館の研究チームが遺跡を調査し、さら                  発掘された白水注が觀台窯で焼かれたものである可能性はある。さらに
                 にそれまでに地元民が発見していた出土品も大量に入手した。天津博物                    類似のもので、赤い色素のあるものもあるが、東京国立博物館、ブルッ
                 館はその調査結果を「鉅鹿宋器叢錄」(李詳耆、張厚璜、1923 天津)                  クリン美術館、ビクトリア&アルバート美術館、そしてグラスゴーのバ
                 に発表した。興味深いことに、天津博物館の研究者が公表した陶磁器の                    レルコレクションに収蔵されている。クリーブランド美術館所蔵のこの
                 いくつかには底に墨で購入した日付や購入者の名前の記述があり、これ                    タイプの水注は、底に墨で売却の記録が残されている。記載によればこ
                 らの日付はすべて1108年の洪水被害以前のものであった。北京の国立                   の水注は崇寧帝期4年(1109年)の2番目の月、29番目の日に、70の
                 歴史博物館が1921年にさらなる調査を行い、その結果を「鉅鹿宋代古城                  銅貨で秦という家族が購入したもののようだ。(Y.Mino and K. Tsiang,
                 發掘記錄」(國立歷史博物館叢刊第1巻1号 1926)に掲載し発表した。                 Freedom of Clay and Brush through Seven Centuries in Northern China:
                 後者の調査は主に2つの居住地域に集中して行われた。ひとつは王とい                    Tz’u-chou Type Wares, 960-16—A.D., Indianapolis, 1981, pp. 34-5, pl. 5
                 う姓の家、そしてもう一つは董家。ここでは陶磁器が生活のなかでどの                    参照) インディアナポリス美術館は、赤いしみのある鉅鹿手の梅瓶を収
                 ように使用されていたかの重要な資料を提供した。1934年後半にスウェ                  蔵しており(図版ibid., pp. 32-3, pl. 4)、今回出品されている、やはり赤
                 ーデンの学者、ニルス・パルムグレン博士(1892-1955)は北京滞在中                いしみのある鉅鹿手の花瓶と非常に類似している。この他にも、白化粧
                 に、友人の古物商、Xia Xizhong氏から宋時代の陶磁器、特に鉅鹿県近く              透明釉の磁州窯陶器が出品されている。ロット812, 840の作品は釉薬を
                 の清河県の磁州窯陶器を紹介された。                                   かける前に白化粧土上に線彫りで装飾が施されており、この装飾は先の
                                                                     とがった道具を用いて細く施されており、灰色の下地があらわれて美し
                 パルムグレン博士は1935年5月に清河県と鉅鹿県の史料を入手し、1936                いコントラストを生み出している。この一群が際立っているのは、当時
                 年には妻のゲルトルードとともにこの2つの重要な地を訪れた。パル                     人気の主題であった花や葉模様など主要なモチーフを輪郭線で型どり、
                 ムグレン博士の研究はヴァルター・シュテーガー博士およびニルス・                     その背景は細く平行する筋線で微妙なコントラストを生み出している点
                 サンディウス博士による科学的、地学的分析とともに、Sung Sherds,               である。この種の文様は今回出品されている、ロット814, 820, 826の
                 Stockholm/Göteborg/Uppsala 1963に発表された。この本はパルム       ものとは異なっている。これらの背景の白化粧は剥ぎ取られ、さらにド
                 グレン博士の死後発行され、スウェーデン王グスタフ6世アドルフに献                    ラマチックなコントラストがみられる。繊細な筋線彫りの背景のタイプ
                 呈された。グスタフ6世アドルフ王は中国美術のコレクターであり、そ                    の陶片は鉅鹿県および青河県で発掘されている。(N. Palmgren, op. cit.,
                 の研究を支援していた。パルムグレン博士は中国滞在中も王に報告を                     black and white plates opposite pages 314 and 302 respectively参照)
                 し続け、王の中国美術コレクションの管理も任されていた。鉅鹿県の遺                     さらに観台窯でも同様の装飾が施された陶器が発掘されている。(The
                 跡はMargaret Carney Xieによる未公表論文「Chü-lü: a Northern Sung   Cizhou Kiln site at Guantai, op. cit., colour plate VI, no. 1, colour plate
                 ceramic legacy, Ann Arbor, Michigan, 1991」のテーマでもあった。  XIV, no. 1, and colour plate XVIII, no.3参照)   本コレクションのロット
                                                                     840 とほとんど同じものが北京宮殿博物館に収蔵されている。(The
                 鉅鹿県で発掘された宋時代の陶磁器の多くは白無地だったが(N.                      Complete Collection of Treasures of the Palace Museum, 32, Porcelain
                 Palmgren, Sung Sherds, Stockholm/Göteborg/Uppsala, 1963, colour   of the Song Dynasty (1), Hong Kong, 1996, p. 233, no. 210参照) また、
                 plates opposite pp. 294 and 296参照), 同じ場所で様々な他の種類の陶  ロット840の鉢と非常に似た装飾を施された作品が1963年に河南省の
                 器も発掘されていた。黒・褐釉(see ibid., colour plate opposite p. 272)  鶴壁集窯跡で発掘されている。(illustrated by Zhang Bai in Complete
                 、華北・華南の青磁、そのなかには彫刻や型を用いた装飾を施したもの                    Collection of Ceramic Art Unearthed in China, 12, Henan, Beijing, 2008,
                 もあり、(see ibid., colour plate opposite p. 276) 鈞窯のような釉薬がみ  p. 180, no. 180参照) この器には「劉家磁器」(劉家製の陶器)の4文
                                                                     字が記されている。また、ロット812と同様の、内側にも装飾帯がある
                 られる陶片も含まれていた。掻落とし文様のある磁州窯磁(ibid., black
                 and white plate opposite p. 302参照)、白化粧かけの上に黒い文様が描   器が1998年に河北省東光県の大運河の波止場近くの難破船から発掘さ
                 かれたもの(ibid.,black and white plate opposite p. 314参照)、緑釉のも  れた。(illustrated by Zhang Bai in Complete Collection of Ceramic Art
                 の(ibid., colour plate opposite p. 322参照)、そして青白磁の陶磁器(ibid.,   Unearthed in China, 3, Hebei, Beijing, 2008, p. 132, no. 132参照).
                 colour plate opposite p. 326参照)、これらの発見は、磁州窯陶器がそ
                 の大半を占めるが、12世紀初頃にこの地域の家庭がどんな種類の陶器を                   黒と白の力強い文様に代表される、磁州窯陶器に施されたいくつかの装
                 どのように使用していたかを示唆する貴重な資料となった。日本では、                    飾技法が今回の出品作品を特徴付けているが、このうち二つの技法は、
                 漢字表記「鉅鹿」は”きょろく”と発音され、主に厚みがあり、白土化粧                   一見、同じような効果をねらったもののようだが、よくみると、大きな



          18     Masterpieces of Cizhou Ware: The Linyushanren Collection, Part IV     磁州窯集珍:古韻天成-臨宇山人珍藏(四)
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