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世 代 別 座 談 会
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れたんですよ。 仕事の見え方がしてきます。仕事の面白さも違ってきま
当時の北海道では、川鉄鋼板さんの鉄板のシェアが 浜 村 融 すね。 池田 健司 周年記念特集
高かったのですが、土木はそれほどでもなかった。そこ ――若い世代には、 浜村 ■ 地区ごとに違った商売をしていますので、お互 ――若い頃に仕事を
で、室蘭の新日鉄に対抗しようと頑張っていた時代で さまざまな会合にも いに良い面を取り入れたり、情報交換ができたりといっ していた人たちのネッ
す。 20代半ばで高炉メーカーの方とお話しできたりし 積極的に参加してほ た強みもあります。釧路片山鉄建では、札幌営業所や トワークが活用できる Ⅲ
て、いい経験になりました。でも、商売的には困ったと しいですね。ベテラ 道内の関連会社とよく情報交換をしています。 環境ができてくると、20
ころもありました。見積りして値段を決めたのに、後に ンの経験や知恵から 吉川 ■ 特に決められた形で情報交換をしているわけ 代、30代とは違った仕
なってから「負けてくれ」とか言われたなあ……。 学べるし、人脈づくり ではないですが、例えば「よその営業所でこういうものが 事の見え方がして面
高堰 ■ えげつないですね (笑) 。 にもなる。 売れているよ」という話を電話ですることはありますね。 白さも違ってきます。
吉川 ■ 締めも終わっているのに、単価を下げてくれと Toru Hamamura 池田 ■ 大阪の商売を東京で、それをまた福岡でとい Kenji Ikeda
か言われて。 うように、営業所間で情報が伝わっていく。隠れている
―― 北海道は全体的に、そのような感じなのですか? 営業になれた時には、これまで実績がなかった業界 需要に気がつくと、特別な商品でなくてもビジネスが拡 ね。
浜村 ■ いえいえ、北海道は地域や扱う品種によって のお客様を開拓しようと頑張りました。でも、新しい業 がっていきます。 浜村 ■ これからは、高齢化で人口も減少してきます。 ROUND TABLE DISCUSSION
商売の形態がだいぶ違うので、えげつないとは、いちが 界には思わぬ地雷が潜んでいることがあります。この時 長い目で見るならば、国内だけにこだわらず、グローバ
いには言えませんよ。 に、私は「ほうれんそう (報告・連絡・相談) 」で失敗しま ル企業になっていくのもいいかもしれません。
吉川 ■ 関西の商売は、かっちりしているんです。決ま した。 堅実な社風を大切にすることが それから、若い世代には、さまざまな会合にも積極
るまではいろいろありますが、一度決まると再交渉とい ―― 皆さん、ご経験があるのか苦笑いですね (笑) 。 次の100年につながる 的に参加してほしいですね。 20代から30代へと、仕事
うのはまずない。 高堰 ■ 地雷を踏んで、逃げられない状態になってか ―― 次の100年に向けての抱負や、大切にしていきた の責任が増すにつれて自社を代表して出席する会合な
ら上司に相談したんです。上司は「そういうのは早く報 いことなどをお聞かせください。 どが増えていきます。上司と一緒に出席するのでもいい
告しろよ」と言って、お客様に土下座までして尻拭いを 吉川 ■ 鉄の需要は常に存在して、そう簡単にはなくな ので、対外的なイベントには積極的に関わって欲しい。
営業マンに裁量があるから、 してくれました。 らない。片山鉄建の大きな強みです。 ベテランの方々の経験や知恵から学べる機会も多いで
やりがいと責任がある
池田 ■ なかなか営業になれなくて悔しかったという それに、川上から川下まで、どこにでも手が出せる。 しょうし、人脈づくりにもなりますからね。
―― 片山鉄建の良いところや強み、残していきたい 話ですが、会社的には営業が花形ですから、裏方の仕 いろいろなお客様を持っているということは、いろいろ 池田 ■ 人材育成は大切ですね。それと、誰がやって
DNAは、どのようなところにあると思われますか? 事をしている人たちの気持ちはわかるし、モチベーショ な仕入先を持っているということです。いろいろなユー も売上が上がるような仕組みを作っていったほうがい
吉川 ■ 片山鉄建の社風には、ある程度仕事を任せて ンを維持しづらいのもよくわかります。でも、裏方の仕 ザーさんに素材を販売して、ユーザーさんが作ったもの い。有能な営業マンがやれば売上が上がるのに、人が
もらえるところがある。それがやりがいにつながってい 事も営業の一部です。メーカーとの交渉や在庫管理を も販売できる。こうやって商売が膨らんでいくので、一 代わると落ちてしまうというのでは続かないでしょう。
る気がします。 した経験は、いずれ営業に出た時に役立ちますから、 つの商売では終わらないんです。 吉川 ■ いろいろな商売・商品が拡がる一方で、なく
浜村 ■ それだけに責任が重大です。釧路片山鉄建が 無駄にはならないと思います。 高堰 ■ ただ、事業の形が、社会の変化とともに変わっ なっている商売も多い。誰かがいなくなったら、ある商
まだ釧路営業所だった時代に、 20代後半からいろいろ 片山鉄建は、営業マンに裁量を持たせてくれますね。 ていきますね。北関東営業所では、昔はトラックでお客 売について全くわからなくなるということもあるでしょう。
と仕切らなければならなかった時期がありました。朝か 多少はボーダーラインを超えて、自分が担当しているも 様に売って回っていたと聞いています。でも、そのままで だから「この品物はどこで買えるのか」といった些細なと
ら夜遅くまで休みなく働いてもなかなか利益が出ない の以外のものを売ってもいい。 はどうなっていたことか。 ころから伝えていったほうがいいと私は思っています。
時代もあって……。でも、その経験が、今につながって SP事業部に所属していた時代に、新規のお客様や、 数年前に北関東倉庫を建て替え、板金加工ができ そして、会社が100年後も存続していればいいかな。
いるように思います。利益が出ることの嬉しさが身にし 疎遠になっていたお客様などから、いろいろな問い合わ るようになったことで、商売の内容が大幅に変わりまし かつては、同業者から「片山が取引をしている会社なら
みました。 せが来ました。屋根に特化した営業をしているはずなの た。最初は、成型機のメンテナンスにあたっても精度が 大丈夫だ。うちも営業に行け」と言われていた時代が
「
高堰 ■ 私は入社以来、 4年ほど“調整”というポジション に、こんなに鉄板の需要があるんですか。それならちょっ 出ずに手探りの状態でしたが、今では北関東を支える あったといいます。また、「片山鉄建はバブルの頃、お
にいました。下積み生活の間は早く営業に出たくて。後輩 と買ってもらえませんか」と商談に発展して、それが後輩 事業基盤となっています。既存の商売がありつつ、新 かしな投資をしたり、異業種に手を出したりしなかった
が先に営業に出たりして、悔しい思いをしていました。 たちに引き継がれて、今日まで続いていたりします。 しい事業にも積極的に取り組んでいく姿勢は大切です よね。だから、あの当時はそんなにボロ儲けをしたわけ
吉川 ■ 若い頃には勢いがありましたね。これぐらいの ではないはずだ。でも、しっかりと今も続いているよね」
年になってくるとだいぶ…… (笑) 。 と、あるお客様がおっしゃっていたと聞きました。
高堰 友祐 先ほどもお話ししましたが、私はバブル時代の末期、 吉川 勝永 そういった堅実な社風を大切にすることが、 100年
――逃げられない状 1992年に入社しました。その時の新入社員が16名で ――鉄の需要は常に 後につながっていくのではと私は思います。
態になってから上司 過去最高です。 40代半ばを超えた今も、ボリュームとし 存在して、そう簡単に
に相談したとき、「そ てこの世代が一番多い。若さゆえにいろんな失敗をし はなくならない。当社 代別座談会 世
ういうのは早く報告 たこともありましたが、年齢を重ねるとともに、いろいろ の大きな強みです。
しろよ」と、お客様に と考えるようにもなりましたよ。
土下座して尻拭いを 池田 ■ 若い頃に一緒に仕事をしていた人たちが、
してくれました。 ちょっと偉くなってくる世代ですね。そのネットワークが Katsunaga
Yusuke Takaseki 活用できる環境ができてくると、 20代、 30代とは違った Yoshikawa
208 ◆ ◆ ◆ THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD. ˗ ˗ ˗ 209