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1953 1960
沿革編 沿革編
15秒スポット CM も出した。広告には茂自身が考案した「ママのデ
ザイン、パパの日曜大工」というキャッチフレーズが踊り、見る者の
購買意欲に訴えた。
これと同時に百貨店の材料物売り場での商品展開を目指して働き
かけを行ったが、当初はどこの百貨店にも断られた。金属タイルの
角で購入者が怪我をしたり衣類が破れる恐れのあることが、その主
な理由であった。そこで段ボールを曲げてカバーする緩衝材を製作
し、金属タイルの角に取り付けるようにすると、当時最も有名であっ CHRONICLE
た日本橋三越がまず取り上げてくれた。三越が取り組んだと聞くと、
複数の百貨店で取り扱ってもらえるようになった。そのディスプレ
CHRONICLE
イ用として当社では6、 7段の木製置き台を製作し、約60 ~ 70枚ほ Ⅰ
片山栄 一 の 時代 と そ
どの金属タイルを金物店の店頭で展示販売した。これによって買い
手の需要が広がり、トータルで毎年よく売れるようになっていった。
東京扇会、大阪扇会の結成
Ⅱ
大阪 か ら へ 本全国 日
東京出張所の熱心な取り組みが功を奏して、金属タイルは東京を
中心に大きな反響を呼んだ。東京出張所では全サイズの型・色を入
E.K
15 亜鉛鉄板の歴史 Ⅲ
COLUMN- 文=片山 茂 片山鉄建 精神 の
亜鉛鉄板の歴史は、月星印と赤鳩印から始 鍍金を経営していた。その東京亜鉛鍍金を川
まっている。 崎製鉄が子会社とし、原板鉄板納入を、富士製
鉄から営業をかけていく。東京亜鉛鍍金を川
・ 月星は大阪で、岩井商店(後の岩井産業)の 崎製鉄が直接傘下に入れたことは、鉄の業界 Ⅳ
販売でスタート では大きな出来事であり、片山東京の大きな 近年 片山鉄建 の
・ 赤鳩は東京で、森岡商店(後の森岡興業)の 力となっていくチャンスでもあった。
販売でスタート
月星は、地方の力ある大手問屋に日本鉄板
が直売開始。赤鳩は、野崎栄蔵商店・森岡商
店が中心に地方販売。東京片山が取り扱うよ
うになった。 第
2
あらゆる物産を扱う大手商社であるが、国 章
内販売の鉄鋼の板には弱く、強力に力をつけ 全国 に 拠点 く 築 を
るため、古くからの東日本の大門や森岡商店
を吸収合併した。
その森岡商店は、スタート時には東京亜鉛 月星印の製品を扱う金物店
昭和 30 年代の八丁堀(資料提供:長谷川寛)
088 ◆ ◆ ◆ THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD. ˗ ˗ ˗ 089