Page 48 - 00_片山鉄建様_表紙
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1953 1960

     沿革編                                                                                                                                                                                                                                   沿革編
                                             福岡出張所の開設                                                                                  土木資材の拡販と道東の開拓



                                               防府への進出には、山陽地方とともに、より西側の下関や山陰地                                                             1960 (昭和35) 年春、川崎製鉄は札幌市中央区北2条西4丁目に札
                                             方にも商圏を拡大し、当社の地盤強化を進める狙いがあったと思わ                                                            幌出張所を開設した。当時の北海道にはまだ未開発な地域が多く残

                                             れる。さらに九州にも拠点を設置すべく調査や設備の買収を進め、                                                            されており、国は1950年に制定された北海道開発法に基づいて同
                                             1959 (昭和34) 年11月、福岡市鏡町 (現・福岡市博多区下呉服町) に福                                                  年に北海道開発庁を設け、国土計画・都市計画を進めて道路・橋梁
                                             岡出張所を開設、約15坪の事務所を構えた。                                                                     などの土木工事に力を入れた。そこで川崎製鉄は従来からの厚板、
                                               九州には線材二次製品を加工する地元メーカーがたくさんあり、                                                           薄板、形鋼、パイプなどに加え、新しい商品として土木鋼材の取り扱                                                                     CHRONICLE

                                             小売店への直売を行っていた。その生産能力は200t 前後であった                                                          いを開始し、前者を営業一部が、後者を営業二部が受け持つ体制を
                                             が、小売店とのつながりが密接で、当社がいくら安値攻勢をかけて                                                            整えた。
     CHRONICLE
                                             も義理堅い小売店とはなかなか取引に至らず、メーカーから逆に「安                                                             当社もこの動きに呼応して、同年、北2条東2丁目の浜建ビル2階                                                                    Ⅰ
                                                                                                                                                                                                                                            片山栄 の 時代 そ 一 と
                                             すぎる」と苦情が来るという有り様であった。営業展開に苦戦した                                                            に札幌出張所を移転した。浜建ビルは暖房付きの瀟洒な3階建ての
                                             だけではなく、代金決済に時間がかかる土地柄であったため、経費                                                            建物であった。
                                             を出すのが精一杯の状態で、船会社や運送会社と交渉し、保管料・                                                              当時の北海道では、土木工事に富士製鉄の鋼材がよく使用されて
                                             運送費削減のために協力を求めたこともあった。                                                                    いた。当社は土木担当者を増員し、川崎製鉄との絆を深めながら官

                                                                                                                                       庁実需筋に食い込んでいった。道路工事の排水現場などによく使用                                                                      Ⅱ
                                                                                                                                                                                                                                            大阪 日 ら か へ 本全国
           当時の福岡出張所                          仙台出張所の開設                                                                                  されるコルゲートパイプやライナープレートは、採用されるために
                                                                                                                                       は役所での設計折り込みが必要となる。そのような事情に対処す                                  移転した札幌出張所

                                               神武景気後は鍋底景気と呼ばれる景気低迷期となっていたが、                                                            るためにも、当社独自の営業スタイルを築き上げていかねばならな
                                             1958 (昭和33) 年後半からは景気が反転し、「V 字回復」という言                                                                                                                                             E.K
                                             葉が生まれるほどの勢いを見せた。                                                                            COLUMN-     16      川鉄と走った北海道片山のユニークな実力                                     文=片山 茂                Ⅲ

                                               1960年4月には川崎製鉄が札幌、仙台、富山、福岡に出張所を設                                                                                                                                                              片山鉄建 精神 の
                                             置した。これを受けて当社でも1961年に仙台出張所の開設が決ま                                                                   当社は、東京進出に続き、1956(昭和31)                    が良いのも幸運だった。北海道は富士製鉄な
                                             り、同年7月、仙台市良覚院丁 (現・青葉区片平) の清香ビル3階に仙                                                               年4月に札幌出張所を開設した。すでに道内                       ど昔の官営会社の力も強く、土木資材はほと

                                             台出張所を開設、 2階に寮を併設した。清香ビルは市の中心街にあ                                                                  にも信頼できる商流を築きつつあり、北海道                       んどリードされていたが、川鉄はその需要に
                                             たる青葉通りに面し、仙台駅から徒歩10分と交通も至便であった。                                                                  進出に大きな意欲をもつ川崎製鉄とは取引が                       どんどん入り込み、当社も一体となり、実に細                             Ⅳ
                                                                                                                                              進んでいた。コルゲートパイプ、ライナープ                       かく全道を走りまわった。それによって、道                               近年 片山鉄建 の
                                                                                                                                              レート、H 形鋼の土木資材、トンネルの支保工                     内土木部の工事で、水路の中にコルゲートパ
                                                                                                                                             (アーチ状の鋼製の支柱のこと。掘ったトンネ                       イプが使われたり、土留めにライナープレー
                                                                                                                                              ルが崩れないように、一定間隔で配置する)な                      トが使われたり、設計から川鉄が関わり、川鉄
                                                                                                                                              どである。二次製品問屋だった当社が、極め                       から当社が指定を受けたケースもあった。
                                                                                                                                              て積極的な考えで、道内でこれらの土木用鋼                         道内各地に現場ができ、工事会社やゼネコ

                                                                                                                                              材を扱う方針を取った。これが、結果的に大                       ンから地方の金物・鋼材店に引き合いがくる。                             第
                                                                                                                                                                                                                                           2
                                                                                                                                              きなチャンスとなっていく。                              それを当社の地方問屋に扱いを頼むという、                              章
           仙台出張所。2 階部分が寮                                                                                                                       本文中の浜建ビルに移った時期も良いタイ                       非常にありがたい土木鋼材の商売の流れが                               を 築 拠点 全国 く に
                                                                                                                                              ミングだった。若手社員ばかりのなかから、こ                      北海道で始まりつつあった。川崎製鉄との関
                                                                                                                                              れらの新しい商品を専門に担当する数名を大                       係はさらに深く大きくなり、北海道片山のユ
                                                                                                                                              阪・東京から登用した。また、川崎製鉄の指導                      ニークな実力となった。

                                             仙台市街の様子




        092  ◆  ◆  ◆                                                                                                                                                                         THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD.   ˗  ˗  ˗  093
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