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1961 1968
沿革編 沿革編
事が終わってから進捗を取りまとめる作業があり、夜遅くまでの勤 そこで安田金属では、カラー雨樋、カラー金属パネル、ステンレス
務や休日出勤も多かったという。このように工事の領域にまで踏み パネルなどの新商品を開発して市場に送り出した。カラー金属パネ
込んだ専門商社は、当社の他になかった。 ル、ステンレスパネルは安価で豪華な外観を形成することができる
工事部誕生の背景としては、東邦工業株式会社 (現・東邦シートフ ほか、施工の簡便さや日光による伸縮がないなどの特長を兼ね備え
レーム株式会社) から発売された連続式大波屋根板・富士波ラスシー ており、カーテンウォール工法によるビルや店舗に多く採用された。
トや壁下材・東邦式 D ラスなど、新建材の登場も大きい。それまで
のモルタル壁は、小幅板を張り、防水紙を下地に使用した上にラス カベラス、シートラスの拡販
を張り、モルタルを塗っていたが、それには多くの手間と労力が必 金属タイル 10 周年記念セールで CHRONICLE
要となる上に、養生期間も必要になる。一方、木材の代わりに金属下 扇印金属タイルに続く新しい利益商品の開拓を進めるなかで、片
地材である富士波ラスシートを使用すれば、その表面に直接モルタ 山茂支店長は東京の矢口産業株式会社のカベラス、シートラスと出
CHRONICLE
ルを塗ることができ、人件費の節約や工事期間の短縮が可能であっ 合った。 Ⅰ
片山栄 の そ 時代 一 と
た。さらに、木製の素材とは違って雨水などの浸透による構造体の 矢口産業は東神田に店舗を構える卸問屋で、鋼材二次製品などを
腐朽がなく、耐火構造、防火構造にも適している。そのため、水道、 取り扱っていた。それと同時に足立区に工場を持ち、鉄線、亜鉛メッ
鉄骨造の内外壁、間仕切り、天井のモルタル塗りなどによく使用さ キ線や建設資材の生産も行っており、当社にとっては原料の亜鉛鉄
れた。 板を納品する得意先であると同時に、商品の供給を受ける仕入元で
また、 1961 (昭和36) 年には川崎製鉄葺合工場において、 H 形鋼 もあった。矢口産業の工場で生産していたカベラス、シートラスは、 Ⅱ
大阪 日 ら へ 本全国 か
の生産が開始された。これに応じて、当社はビルの基礎工事など、土 長尺亜鉛鉄板を角山型 (カベラス) 、角富士山型 (シートラス) に成型し
木工事一般を需要家から請け負うようになる。従来、問屋向けの商 たもので、その片面は山型に対して直角に亜鉛引メタルラスを組み
売が売上の9割までを占めていた当社であったが、以降、その業容 合わせて電気溶接し、強度を高めていた。
は大きく変わり始めた。 カベラス、シートラスには以下のような種類があった。
Ⅲ
片山鉄建 の 精神
利益商品・独自商品の開拓 矢口式カベラス
1型: 優れたモルタル下地材。木造、鉄骨の住宅、店舗、工場用。 6
1960 (昭和35) 年8月、東京出張所が支店に昇格し、社員も30名近 尺もの規格品で経済的
くに増えて、その機動力はさらに増強された。東京支店の朝礼にお 2型: 住宅などのモルタル下地材。長尺物で自由な長さで使用で
いて、当時「YP 工」という言葉が唱和されていたが、このうち「Y」は きる Ⅳ
安田金属、「P」は “pro t” すなわち、金属タイル以外の相場変動の 近年 片山鉄建 の
影響の少ない、利益が安定して得られる商品、そして「工」は工事受
注を意味しており、いずれも利益率の高い製品や受注形態であった。
当社にとって利益率の安定した商売を目標として売上の3割をキー
プしよう、という合言葉を「YP 工3割」と呼んだ。その流れができた
支店は、大きな力となっていった。 第
安田金属の扇印金属タイルは、当社史上最大のヒット商品に成長 1
章
していた。その販売は全国的に好調で、単一の商品で全社員の給与
ぐ 事 み る 工
を賄えるほどの利益を出しており、なかでも東京では桁違いの売上
を見せていた。しかし、経済が発展するにつれて本物志向のユーザー
「
が増え、陶器タイルを模した金属タイルの需要は次第に縮小してい し 受注 を 目指 て
扇印を PR する展示会の様子 く。 カベラス、シートラスについて(『片山ニュース』1969 年 9 ~ 10 月号)
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