Page 33 - 00_片山鉄建様_表紙
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1946 1949

     沿革編                                                                                                                                                                                                                                   沿革編
                                             には釘樽200個分、合計約10t の商品を積み込むことができた。釘                                                                                                                                                E.K
                                             樽を倉庫に納める際には倉庫で5段積みにする作業があり、最上段
                                                                                                                                         COLUMN-     6     北海道での得意先開拓
                                             まで積み上げるには60kg の釘樽を担ぎ上げる必要があった。
                                               商品は国鉄 (現・JR) 大阪駅や湊町駅 (現・JR 難波駅) から貨車を用
                                                                                                                                               戦後間もない時期の札幌は、ポプラ並木に                       樽・札幌の主力問屋をしっかりと取り込む一
                                             いて全国に送られた。貨車は通常の客車よりも小型で、バランスを
                                                                                                                                              沿って赤レンガの建物が立ち並び、馬車が主                       方で、大阪鉄板製造、日亜製鋼(現・日鉄日新
                                             取るため底部に金属などの重いものを敷き詰める。亜鉛鉄板や二次                                                                   たる運搬手段であった。その風景に接して、                       製鋼)、丸十鋼業などのメーカーも札幌・旭川
                                             製品はその重しとして最適で、当時の国鉄から優遇され、比較的安                                                                   専務だった北神は中国の南京を思い出し「ま                       地区の大手問屋に出張して直接取引をしてい
                                             い運賃で発送できた。貨車には有蓋車と無蓋車があり、大切な商品                                                                   るで外国にやってきたようであった」と語っ                       た (注) 。そこで当時の営業担当者は、大手問屋                          CHRONICLE

                                             が傷むことのないように、当社は有蓋車を用いて発送した。                                                                      ている。                                       が足を運ばない地方問屋に足繁く通ったが、
                                               当社と同様に、地方展開に力を入れる二次製品問屋もあった。貨                                                                   北海道へは2カ月に1回、大阪からの出張販                      それが大手問屋の不興を買う原因にもなっ
     CHRONICLE
                                             車の数が限られていたため、 1台でも多く貨車を押さえようと競争                                                                  売が行われ、青函連絡船が到着する函館を皮                       た。大手問屋からは販売先を荒らされている                               片山栄 Ⅰ

                                             になり、貨車取りなどの仕切りを全面的に請け負っていた日本通運                                                                   切りに、室蘭・札幌・小樽・岩見沢・月形・滝川・                    と思われたのである。                                        の 時代 一 と そ
                                             の事務所に酒瓶を持って挨拶に行くことなどもあったという。現在                                                                   留萌・旭川・士別・名寄・帯広・釧路・網走・
                                                                                                                                              女満別・北見の各地方の販売店をきめ細かく                       (注)
                                             ならばとても考えられないが、まだそのようなことが慣習的に行わ                                                                                                              トタン板や釘、針金などを多く扱っていた卸問屋は大阪と
                                                                                                                                              訪問していったが、当時は食糧事情も交通事                       東京にあり、北海道へ商売を拡げていたのは、当時の大阪
                                             れていた時代のことである。
                                                                                                                                              情も悪く、弁当を持参して鞄一つで道内を移                       の大手である下村商店、梅本商行などであった。当社も早
                                               また、九州・四国・中国方面の瀬戸内輸送は、安治川から機帆船                                                                                                             くから始めたが、北海道全体を広く扱う札幌・小樽にある                        Ⅱ
                                                                                                                                              動する汽車の旅は困難を極めた。                            大手取扱店をとばして地方都市に拡販していった。いわば                         大阪 本全国 へ 日 か ら
                                             に積み込んでいた。                                                                                                                                   大問屋の売り先に拡げるということでもあったので、進出
                                                                                                                                               北海道では下村商店や梅本商行(現・株式
                                                                                                                                                                                         時代は大手から嫌われた。しかし、地方都市への展開は、
                                                                                                                                              会社梅本商行)などの大阪の問屋が、函館・小                      扱い量も増えてどんどん力を拡大し、末端の需要をキープ
                                                                                                                                                                                         する結果として、良い方向に進んでいった。


                                                                                                                                                                                                                                           Ⅲ
                                                                                                                                                                                                                                            片山鉄建 精神 の








                                                                                                                                                                                                                                           Ⅳ
                                                                                                                                                                                                                                            近年 片山鉄建 の





                                             使用していた三輪トラック。写真は牧平



                                                                                                                                                                                                                                           第
                                                                                                                                                                                                                                           2
                                                                                                                                                                                                                                           章
                                                                                                                                                                                                                                           け 跡 焼

                                                                                                                                                                                                                                           「
                                                                                                                                                                                                                                           バ ら か ク ッ ラ









        062  ◆  ◆  ◆                                                                                                                                                                         THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD.   ˗  ˗  ˗  063
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