Page 34 - 00_片山鉄建様_表紙
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た ち 業 者 創                                                                                                                                                                                                              創業者 ち た
             Aphorism          1


                                                                     創 業 者                                                                  いという姿勢を、栄一は創業当初から持って                        ●  偉い人であっても堂々と付き合う度胸があ
                                                                     片 山  栄 一                                                               いた。相場の浮き沈みが激しい「鉄」に注目し                         り、厳しい性格ながら、人を育てることに注                             「 肖像
                                                                                                                                            たのも、勝負師的な性格があったせいかと思
                                                                                                                                                                                          力した。後に、会社の中核を担う専務となっ
                                                                                                                                                                                                             こ こう
                                                                      Eiichi Katayama, 1897-1953                                            われる。第3代社長である茂は、子どもの頃                          た北神嘉信は栄一の股肱 (一番頼みとする)                             1
                                                                                                                                                                             すず
                                                                                                                                            に「ニューヨーク市場でシンガポールの錫の                          の部下で、栄一の信念でもあった次の言葉
                                                                                                                                            先物取引をやりたかった」と栄一が言ってい                          を第2 代社長の栄三や第3 代社長の茂に教
                                                                                                                                            たことを覚えている。これも「世界を相手にし                         えた。「仕入先でも得意先でも、相手の企業
                                                                     Profile                                                                たい」という志の表れだったと想像される。                          が大きいほど、そのトップと交わりを深めなさ
                                                                     1897 (明治30)年生まれ。市立大阪高等商業学校                                            ●  かつて立売堀は水運の便がよく、続く時代に                        い」。この創業者以来の方針は、第2 代栄三                           APHORISM
                    の                                               (後の天王寺商業学校)卒業。                                                          鉄鋼問屋の中心街となっていく。その立売堀                          社長・第3 代茂社長……と、次の時代に大
                                                                     長瀬商店(現・長瀬産業)神戸支店にて貿易事務
                                                                                                                                                                                          切に受け継がれていく。
                                                                                                                                            に栄一は、店舗・倉庫を構える。
                    像 肖                                              として5年勤務。                                                              ●  1933 (昭和8) 年頃、芦屋に1,100 坪の不動               ●  厳密な会計処理を、社員に強く求めた。営業
                                                                     1919 (大正8)年8月1日、 22歳で片山栄一商店
                                                                     創業。安堂寺橋通3丁目から立売堀北通5丁目、
                                                                     立売堀北通4丁目へと店舗を移す。                                                       産を購入。自宅のほか貸家を持ち、家賃収                           担当者にも、「出張報告は必ずその日に書く」
                                                                     朝鮮から台湾、中国への海外進出を目指し、天津と                                                入もあった。松林のスペースが300 坪余りあ                       「集金報告で残 (取り残し) がある場合には、
                                                                     上海に片山洋行を開く。芦屋に、当時としては大き                                               り、第2 代社長の栄三・茂ら兄弟は、そこで                          理由を正確に書く」ことを求め、いい加減な
                                                                     い1,100坪の不動産を購入。近隣には西山弥太郎                                               冒険してよく遊んだという。                                 態度は厳しく戒めた。
                                                                     氏、井上長太夫氏が住んでいた。
                                                                     1953 (昭和28)年1月20日、 56歳にて急逝。                                           ●  阪神間の神戸に近い地域には関西の産業界                       ●  栄一は、まだゴルフ人口が少ない時期から、
                                                                                                                                            をリードする人たちが多く住んでおり、人との                         ゴルフを多くの財界人との交わりのために活
                                                                                                                                            交わりを大切にする栄一は、さまざまな人た                          用していた。自分自身、ゴルフ好きになり、自

                                                                                                                                           ちと深い親交を結んだ。川崎製鉄初代社長・                           宅の敷地内にゴルフのスイング練習ができる
                                生い立ち                                          創業の頃
                                                                                                                                            西山弥太郎氏も芦屋の住人であった。西山                           小屋を造るほどだった。毎週、日曜日は早朝
                  ●  創業者・栄一は、父・栄吉と母・順の間に誕                       ●  1919 (大正8) 年8月1日、 22 歳で片山栄一                                              氏との関係は、その後、片山鉄建の運命に大                          からゴルフ場を訪れ、その頃の友人・知人
                  生したひとりっ子であった。母は早くに亡くな                          商店を個人営業にて開業。第3 代社長であ                                                      きな影響を与える。                                      が、以後、当社の良き相談相手、パートナー
                  り、父・栄吉は不幸にして40 代で視力を失っ                         る片山茂 (栄一の次男) は、かつて栄一が語っ                                                                                                  となっていく。前述した西山弥太郎氏も、そ
                  た。その父に孝養をつくし、栄吉は87 歳の                          た「ちっぽけな商売じゃなく、世界につなが                                                                                                     の一人だった。
                                                                                                                                                       人柄について
                  天寿を全うした。幼少期は、家庭は貧しかっ                           る商品をやりたい」との言葉を覚えていると
                  たが、大阪の商業学校を卒業し、長瀬商店                            いう。                                                                       ●  家族には厳しいが、きちんと筋を通す人だっ
                 (現・長瀬産業) の神戸支店に5 年間勤務。                         ●  鉄は広く世界に広がる商品。その中でもトタ                                                     た。間違ったことには、とても厳しかった。そ                                      戦後の頃
                  若くして貿易を通じて世界を体験した。                             ン板は、相場変動が特に激しい。この発展                                                        の中にも優しさがあり、娘たちに気配りもして                              ――片山商店第2の創業期
                                                                 途上の商品に、商人として力を注いでいきた                                                      くれたという。                                       ●  第二次世界大戦中の大阪大空襲によって、


















                前列左から清子3歳、栄三5歳、米子生後233日目                                                                                                                                                左から茂、栄一、誠三、清子、米子。栄三は東京で勉強中、茂は芦
                (1929年9月15日、中山写眞館にて)                           片山栄吉77歳喜寿のお祝いにて。後列左4人目から八重、誠三、                                                                                           屋中学在学中(1946年頃)
                                                               栄一、前列左から米子、清子、栄吉、栄三、茂(1941年)

                                                                                                                                                  清子、十三参りの折に。
                                                                                                                                                  後列左から栄一、栄三、栄吉(1940年)


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