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1961 1968

     沿革編                                                                                                                                                                                                                                   沿革編
                                             は川崎製鉄グループの主力工場として活躍することになる。この偶                                                                                                                                                   E.K
                                             然により、当社の流通改善は飛躍的な進展を遂げた。
                                                                                                                                         COLUMN-     18       水島製鉄所の建設
                                               ただ、松戸営業所の取引は小口取引先が多く、当初より大きなビ
                                             ジネス展開は期待できなかった。開設にあたった社員は「10t 車扱
                                                                                                                                               鉄鋼一貫体制の確立を図るため、川崎製鉄                       も鉄鉱石をはじめ原材料のほとんどを輸入に
                                             いの商いは一切忘れてしまい、トタン板50枚買ってくださるお客
                                                                                                                                              は1965(昭和40)年10月から水島製鉄所1                    依存しています。原材料を加工し、付加価値
                                             様に最敬礼する」覚悟で臨んだと語っている。松戸営業所は1991 (平                                                               号高炉の建設を進め、1967年4月に火入れ                      を高くして輸出することなしに、わが国の存
                                             成3) 年まで独自の営業活動を展開した後、東京営業所が松戸に移転                                                                 を行った。高炉は内容積2,156㎥で製鉄能                      立はあり得ません」
                                             した際に統合された。                                                                                       力は1日あたり4,500 ~ 5,000t に上るもの                                                                  CHRONICLE

                                               また、松戸倉庫は1967年に拡張工事を行い、併せてスリッター                                                                 で、線材ミル、厚板ミルも併設された。また、                        総工費45億円による連続鋳造設備が水島
                                             機械を1台増設したほか、シャーリング機械、角波成型機械、瓦棒成                                                                  1968年6月にはドイツの製鉄プラント建設                      製鉄所に完成し、1969年には本格的な操業
     CHRONICLE
                                             型機械を新設してコイル裁断の迅速化を図った。                                                                           会社・デマーグ社の最新設備による大型 H 形                     に入った。八幡製鉄と富士製鉄が合併し、新                              Ⅰ
                                                                                                                                              鋼ミルを本格稼働させた。                               日本製鉄が誕生する前年のことであった。                                片山栄 時代 と の そ 一

                                             名古屋営業所の開設                                                                                         栄三社長は、パンフレット『鉄と人間』でこ
                                                                                                                                              う語っている。

                                               大阪長尺屋根は、当社工事部や需要家課 (土木建材課) などから受
                                                                                                                                               「鉄鋼業界にあって昭和44年は、永遠に記
                                             注し、しばらくの間、町工場の屋根などの小規模な工事を請け負っ                                                                                                                                                                Ⅱ
                                                                                                                                              録されるべき年でありましょう。それまで世                                                                          大阪 本全国 か ら 日 へ
                                             ていたが、当社が需要家からの受注に注力してからは、堺市の関西
                                                                                                                                              界鉄鋼貿易の首位にあった西ドイツを抜い
                                             電力の火力工場や京都・丹後由良の5,000坪に及ぶ丹後ちりめん工                                                                 て、日本がこれに代わった年だったからです。

                                             場などの大規模工事を請け負うようになり、技術面においても関西                                                                   資源に恵まれない日本は、鉄づくりにおいて                       水島製鉄所 1 号高炉
                                             屈指の実力を持つ板金加工会社となった。その本社は大阪市浪速区
                                             恵美須にあり、名古屋にも営業所を設置していた。                                                                                                                                                                       Ⅲ
                                                                                                                                                                                                                                            片山鉄建 精神 の
                                               二次製品の販売に関して言うならば、大手商社やメーカーのほと                                                                                                                                                  E.K
                                             んどが出店済みで、東京、大阪からも売り込みが絶えない名古屋は、                                                             COLUMN-     19     『片山ニュース』の発刊
                                             国内有数の激戦地であった。

                                               中部地方の拡販にあたり、当社はしばらくの間、名古屋市南区三                                                                   問屋はお客様あっての商売である。当社が                       エッセーからなる「新世紀」のほか、鉄鋼業界
                                             条町の大阪長尺屋根名古屋営業所内に連絡所を設けていたが、 1966                                                                知り得た情報を分かち合い、役立てることが                       を中心に経済動向をまとめた「経済こよみ」、                             Ⅳ
                                            (昭和41) 年9月に連絡所を営業所へと昇格させて、いよいよ本格的                                                                 できればお客様に喜んでいただけるのではな                      「ニュースの眼」、「市況アンテナ」など、数値                              近年 片山鉄建 の
                                             な営業活動を展開することとなった。その事務所は従来どおり大阪                                                                   いか。そういった思いから、栄三社長は広報                       や業界筋の見解を根拠にした読み応えのある

                                             長尺屋根内に構え、倉庫は持たず、大阪からのトラック輸送で納品                                                                   誌を立ち上げて、お客様に当社が知り得た貴                       記事が揃っていた。
                                             を行った。                                                                                            重な情報の提供を行った。
                                                                                                                                               1959(昭和34)年に創刊した『片山商報』を
                                               東海地区は月星印の牙城で、日本鉄板の直販戦略をいかに切り崩
                                                                                                                                              前身とする『片山ニュース』は、全25ページ、
                                             していくかが課題であったが、名古屋・豊橋・浜松・静岡の問屋・
                                                                                                                                              2色刷りの誌面で、問屋が発信する広報誌と                                                                         第 1
                                             小売店には堅実な経営者が多く、攻略が難しかった。その結果、名古
                                                                                                                                              しては斬新なものであった。例えば1967年                                                                        章
                                             屋営業所は当初より苦戦を強いられ、安田金属の金属タイル・金属
                                                                                                                                              1 ~ 2月号では、川崎製鉄の宮本伯夫常務、川                                                                      る み ぐ 工 事
                                             パネルで細々と売上を上げているという状態が続いた後、 1981年                                                                 鉄鋼板斎藤実社長を筆頭に、栄三社長以下当

           名古屋営業所                            9月に閉所された。                                                                                        社経営陣、営業所長の「年頭ご挨拶」が続く。
                                                                                                                                                                                                                                           「
                                                                                                                                              連載企画としては栄三社長がしたためた短い                       『片山ニュース』表紙                                        し て 目指 受注 を







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