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1969 1978
沿革編 沿革編
E.K
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COLUMN- 経営理念、経営の基本方針、社是、社訓
1968(昭和43)年1月20日、当社は「株式 経営方針も翌年に若干の修正が加えられ
つ
会社片山商店の経営に就いて」を発表し、経営 た。修正後は「時代の要求を満たす」という要 ●社訓
理念、経営の基本方針、社是、社訓を定めた。 素が加えられ、「三健主義」は削除されて、木
その後、時代とともに文言が変わった部分も 下藤吉郎、すなわち豊臣秀吉の「日本一の草履 仕事10則 責任3ケ条 CHRONICLE
あるが、発表当時の原文は以下のとおりであ 取りになってやろう」という決意が加えられ
ま もの
る。 た。それは超日本一の「真物のプロ」になると 1. 仕事は自ら創るべきで与えらるべきでな 1. 命令、復命、連絡、報告は、その結果を確認
CHRONICLE
いう決意である。当社社員にも、お客様に寄 い。 し、その結果を把握する迄は、これをなし Ⅰ
片山栄 そ と 一 時代 の
●経営理念 り添って超日本一の「真物のプロ」となる決意 2. 仕事とは先手先手と働きかけていくこと た者の責任である。その限度内における
が求められている。このほか、変更の際の説 で、受身でやるものではない。 責任は断じて回避出来ない。
片山商店の繁栄=社員の幸福=社会への奉仕 明には「手習いは坂に車を押すが如し。油断を 3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事は己 2. 一を聞いて十を知りこれを行う英知と才
すれば後に戻るぞ」との格言が引用されてい を小さくする。 能が無いならば、一を聞いて一を完全に
この経営理念は翌1969年の社名変更に る。 4. 難しい仕事を狙え、これを成し遂げる所 行う注意力と責任感を持たねばならぬ。 Ⅱ
あたり、「独立自尊の精神」と変更されてい に進歩がある。 一を聞いて十を誤るが如き者は百害あっ 大阪 ら 日 本全国 へ か
る。「独立自尊の精神」は福沢諭吉の言葉で、 ●社是 5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、 て一利ない。まさに組織活動の癌である。
ひ
と
「他人に迷惑をかけない、更に他人の為世の為 目的完遂迄は……。 削減せらるべきである。
に尽くす」ことが肝要であり、そこから「感謝 創意工夫 努力 熱 6. 周囲を引きずり廻せ、引きずるのと引き 3. 我々にとっては形式的な責任論はもはや
の念」「互譲の精神」が生まれると説明されて 信頼 自省 独立 和 ずられるのとでは永い間に天地のひらき 一片の価値もない。我々の仕事は突けば
いる。 が出来る。 血を噴くのだ。我々はその日その日に生 Ⅲ
片山鉄建 の 精神
常に殻を破って前進すべし 7. 計画を持て、長期の計画を持っておけば 命をかけている。
●経営の基本方針 常識の殻の中に居て前進はない 忍耐と工夫とそして正しい努力と希望が 片山艦隊各員は常にベストを尽くせ。
常に問題意識を持つべし 生まれる。
• 片山商店は、吾国鉄鋼業界の流通部門を担 これでよいと思った時には既に後退している 8. 自信を持て、自信がないから君の仕事に 5禁「おいあくま」
当する超日本一の問屋たるべく努力する。 は迫力も粘りもそして厚味すらがない。 Ⅳ
• 片山商店は常に御得意先へのサービス向上 翌年の修正では、最初の2行を 9. 頭は常に全回転八方に気を配って一分の おこるな 近年 の 片山鉄建
をはかり、適正利潤を確保し、御得意先と 「信頼と和こそ片山鉄建そのものである」 スキもあってはならぬ。サービスはその いばるな
共に手を携えて共存共栄の道を歩む。 「すべての活動の根本は努力と熱意である」 様なものだ。 あせるな
• 片山商店は全社員の成長を期待し幸福を尊 「創意工夫により時代の要求を満たせ」 10. 摩擦を恐れるな。摩擦は進歩の母、責任の くさるな
重する。社員一人一人の成長は集約されて とし、後半は簡潔に 肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。 まけるな
片山商店の成長となり、社員一人一人の幸 「常に殻を破って前進すべし」
福はとりも直さず片山商店の幸福となる。 「常に問題意識を持つべし」 以上の社訓に関しては、大きな変更は見ら 第
然して成長と幸福には三健主義を唱う。 とした。その結果、全体で5つの文言で構成 れなかった。 2 章
身体の健康 されることとなった。 「「
精神の健康 鉄建
経済の健康
「
• 片山商店は斯くして広く社会に奉仕する。 挑戦
118 ◆ ◆ ◆ THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD. ˗ ˗ ˗ 119