Page 66 - 00_片山鉄建様_表紙
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1969 1978

     沿革編                                                                                                                                                                                                                                   沿革編
                                             後は実際の商売は中原社長が行い、当社は主に資金繰りの面で関与                                                            着実に利益を生み出し、棚上げされた債権の元本を7、 8年かけて完
                                             していくこととなった。これに伴って、 1973年12月、当社は350万                                                       済した。

                                             円の出資を行い株式の38%を取得、翌1974年8月には550万円を
                                             出資し、合計株式の50%を取得した。                                                                        住宅産業部の設置

                                               当時、東京支店長を務めていた茂現会長はこう振り返る。
                                              「私が手形決済を迫ったのは『大阪商人にとって最も大切なこと                                                              かつて、日本人は一生をかけて自分の “ 家 ” を残そうと考えたも
                                             は、金払いの約束を守ることである』という北神専務から受けた教                                                            のであったが、その意識は次第に変化し、何度も住まいを変えるこ
           当時のヤマキ小林
                                             えを忠実に守っただけのことなのですが、実際に経営を引き継ぐと                                                            とが珍しくなくなった。住宅そのもののたたずまいも、かつて大家                                                                      CHRONICLE
                                             なると、取引先一つ一つに昔からの取引の流れがあり、われわれが                                                            族が住んだような “ 家 ” の枠から離れて、高層住宅や独立した戸建
                                             商売のやり方に口出しできるようなものではありませんでした」                                                             住宅が増加し、様式も多様化して個室を中心にした部屋割りやイン
     CHRONICLE
                                                                                                                                       テリアが求められるようになった。この新しい動向を受けて建材、                                                                      Ⅰ
                                                                                                                                                                                                                                            片山栄 そ の 時代 一 と
                                               当社が経営を引き継ぐにあたり、中原社長からは、どんなことに                                                           プレハブ住宅、住宅設備機器などへの関心が高まり、素材メーカー、
                                             なってもヤマキ小林を潰さないことと、息子に仕事を教えて欲しい                                                            商社をはじめ、さまざまな業界から関連事業への参入が相次いだ。
                                             という要望があった。そこで、長男の中原哲信氏が当社に入社し、                                                              当時の建設省は、第2次住宅建設5カ年計画として1971 (昭和46)
                                             5年間の勤務の後、 1984年にヤマキ小林の社長に就任して今日に                                                          年度から1975年度までに950万戸の住宅を建設する方向性を打ち

                                             至っている。                                                                                    出し、具体的方策として開発銀行融資の斡旋、補助金の交付、機械設                                                                     Ⅱ
                                                                                                                                                                                                                                            大阪 か 本全国 日 へ ら
                                               同年の夏には、帯広の三原商店が月末の手形が落とせなくなった。                                                          備の規定償却年数短縮による企業者減税などを盛り込んだ。また、
                                             当社は三原商店にとって最大の仕入先で、債務もかなりの金額に                                                             プレハブ住宅について、建設大臣による「優良住宅」の認定制度も開

                                             上っていた。                                                                                    始された。住宅産業への期待が高まるなかで、当社も住宅建築の分
                                              「それはヤマキを丸抱えした年の夏のことでした。三原商店は、勤                                                           野にも進出すべく、 1972年頃に住宅産業部を設置した。
                                             勉なご夫婦が正月以外休むことなく働いてこられた会社だったこと                                                              住宅産業部では、 1990 (平成2) 年、当社と東京都江戸川区の山本                                                               Ⅲ
                                                                                                                                                                                                                                            片山鉄建 の 精神
                                             もあり、私としては1社引き受けるのも2社引き受けるのも同じこ                                                            鉄工建設部 (現・山庄建設株式会社) が開発した独自技術である「ラク
                                             とだという思いで、再建のためならいくらでも力を貸そうと心の底                                                            ター工法」を全面に押し出した。ラクター工法は木造建築に鉄を組
                                             から思ったのです。ただ、これには厳しい条件がつきました。当社                                                            み込んだプレカット工法で、木造建築の良さを残すため柱に木材を

                                             がトタン板と釘、針金を供給しても、それだけではやっていけない                                                            使用しつつ、梁・大引・母屋などの横架材には軽量形鋼を使用する。
                                             はずだと兄・栄三社長は言うのです」                                                                         仕上がりは従来の木造住宅と全く変わらないが、強度や価格などの                                                                      Ⅳ
                                               三原商店の支援にあたって栄三社長は条件を出した。その条件と                                                           面で、より優れた住宅を建設することができた。その要となった「ラ                                                                      近年 片山鉄建 の
                                             は、当社以外の大口仕入先に今後も商売を続けるという確約を取る                                                            クター」は C 形鋼と内装下地材との取合金物の
           昭和 50 年代の三原商店
                                             こと、それと同時に現在の債権を無条件で棚上げしてもらうこと。                                                            名称で、簡単かつ確実に下地材を固定して、下地
                                             この2点で、一言で言うならば最大の債権者である当社が行うのと                                                            材ならびに手間を節約することができた。
                                             同じ対処をほかの取引先にも求めるということであった。                                                                  木造住宅のシステム化、ラクター工法の技術

                                               そこで、茂支店長は三原社長と一緒に、大手仕入先数社と交渉す                                                           そのものの利点は評価された。第一開発株式会                                                                               第
                                             るため、釧路、旭川、札幌、東京を2回、 3回と訪ねた。色よい回答を                                                         社が千葉市若葉区大宮町に計画した分譲住宅で                                                                               2
                                                                                                                                                                                                                                           章
                                             得るのはなかなか難しかったが、ある会社に当社の実績や社風に理                                                            は、当社が元請業者となって建設を進め、レイモ
                                                                                                                                                                                                                                           「「
                                             解を示す役員がいて、厚意を受けることができた。その事実によっ                                                            ンド設計事務所が住宅設計を、山本鉄工建設部
           三原商店で使用されていたビニレヂノ塩ビ鋼板の                                                                                                                                                                                                          鉄建
           トラック                              て交渉の流れも変わり、他社の同意を取り付けることにも成功した。                                                           が建築を担当した。ただ、石油ショックによる不                                                                              「
                                               当社は三原商店の資金的バックアップを直ちに行い、同社のピン                                                           況などの影響で、住宅産業部の事業が大きく発                                                                               挑戦

                                             チを助けた。その後、三原商店は新しい販売スタイルを作り上げて                                                            展することはなかった。                                   ラクター工法のパンフレット




        128  ◆  ◆  ◆                                                                                                                                                                         THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD.   ˗  ˗  ˗  129
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