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1969 1978

     沿革編                                                                                                                                                                                                                                   沿革編
                                               先行きの見えない不況のなかで、当社は営業担当者の責任で回収                                                           第 1 回全社合同オリンピックの開催
                                             を徹底させた。ある社員はこう語る。

                                                                                                                                         1976 (昭和51) 年頃の当社は、資本金1億円、売上高170億円規模
                                              「不良債権をつくらない、短期回収を心がける、在庫はたくさん持                                                           へと拡大し、全国9カ所の事業所に合計160名の社員を擁するまで
          (注)                                たない。この『不況対策三原則』              (注) さえ守っていればどんな不況も                                           になった。組織が大きくなるにつれて、一体感の醸成が求められる
          “入るるを図り、出ずるを制す”「不況対策三原則」
           とは、次の通り。                          怖くないというのが栄三社長の持論で、よく『絶対に社員を路頭に                                                            ようになり、社員旅行も大掛かりなものとなった。
                                             迷わせるようなことはしない、たとえ商売がゼロになっても2年間                                                              1975年7月には第1回全社合同オリンピック (合同社員旅行) が開
           [ 在 ] ザイ 在庫圧縮  余分な在庫は持たない
                          デッドストックをつくら        は社員に飯を食わせていく』と話していました」                                                                    催された。それまでも営業所単位で社員旅行が行われており、それ
                          ない                                                                                                                                                                             第 1 回全社合同オリンピックのしおり               CHRONICLE
           [ 回 ] カイ 回収強化  短期回収に心掛ける                                                                                                    を大阪では「運動会」と呼ぶ習わしはあったが、全国の社員が一堂に
                          集金を怠るな
           [ 焦 ] コ  焦付厳禁  引っ掛かりをつくらない                                                                                                  会する機会はなかった。そこで4年に1回、全社員が参加する社員旅
     CHRONICLE
                          与信管理を徹底する                                                                                                                                                                                                        Ⅰ
           [ 経 ] ケイ 経費節減                                                                                                               行を開催し、それを「オリンピック」と称したのである。                                                                           片山栄 一 と 時代 の そ
                                                                                                                                         第1回全社合同オリンピックは、 7月12日から1泊2日で開催さ
                                                                                                                                       れた。 7月12日は大阪のトヨタビル9階の大ホールにて創立記念
                                                                                                  E.K
             COLUMN-     24     「E.K ジャーナル」と「E.K ひろば」                                                                                  式典が行われ、最優秀社員が表彰された。宿泊地には滋賀県のホテ
                                                                                                                                       ルレークビワが選ばれ、翌2日はバスで京都観光を行った。

                                                                                                                                         全社合同オリンピックは、その後も4年ごとに開催され、第2回は                               大阪トヨタビル 9F 大ホールでの創立記念式典              Ⅱ
                   1975(昭和50)年9月、栄三社長が執筆す                    年11月に出版された1冊目で、栄三社長はこ                                                                                                                    で。左から越後、長谷川、栄三社長                      大阪 ら へ か 日 本全国
                 る「E.Kジャーナル」第1号が発行された。「E.K                   う語っている。                                                                   大阪営業所の企画により三重県の伊勢へ、第3回を東京営業所、第4                               (1975 年 7 月 12 日)
                 ジャーナル」は栄三社長が A4サイズ2 ~ 3枚                                                                                              回を札幌営業所、第5回を福岡営業所、第6回を仙台営業所というよ
                 にしたためたニュースレターで、請求書に同                         「『E.K ひろば』と云う枷を自分自身に嵌め                                                   うに、全国各地の営業所が持ち回りで幹事を担当した。
                 封する形で発送されたため、届くのを楽しみ                        ますことは、自らの怠け癖に鞭打つ方策と心
                 にしていた得意先も多かったという。                           得る様になりました。他方、自画自賛的で恐                                                                                                                                                          Ⅲ
                                                                                                                                                                                                                                            片山鉄建 精神 の
                   景気動向の分析から始まったこの企画は、                       縮ですが、何年目かにお目にかかった御得意
                 常日頃の業務や財界著名人の言葉を通して                         先様が、こんな粗末な書きものでも毎月お読
                 学んだ知恵などへとテーマを広げ、才知溢れ                        み下さることにより、まるで昨日お会いして
                 る言葉で得意先を魅了し、ファンを増やして                        いた様な雰囲気でご面談を頂き、身の引き締                                                                                                                     越後と長谷川
                 いった。                                        まる思いを致したことも度々でございます。」                                                                                                                                                         Ⅳ
                   1979年1月には「E.K ひろば」と改称し、                                                                                                                                                                                                  近年 片山鉄建 の
                 得意先から寄稿いただいた原稿を掲載した時
                 期もあったが、諸般の事情から再び栄三社長

                 の執筆に戻り、以後、逝去する直前まで33年
                 にわたり発行が続けられた。最終号が発行さ
                 れたのは2008(平成20)年2月であった。
                                                             ニュースレター形式だった
                  「E.K ジャーナル」「E.K ひろば」の内容は、                 「E.K ひろば」と、出版さ                                                                                                                                                                 第
                 3冊の書籍としてまとめられている。1989                       れた 3 冊の『E.K ひろば』                                                                                                                                                              2 章

                                                                                                                                                                                                                                           「「
                                                                                                                                                                                                                                           鉄建

                                                                                                                                                                                                                                           「
                                                                                                                                                                                                                                           挑戦

                                                                                                                                       第 1 回全社合同オリンピック(ホテルレークビワにて)




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