Page 69 - 00_片山鉄建様_表紙
P. 69
1969 1978
沿革編 沿革編
先行きの見えない不況のなかで、当社は営業担当者の責任で回収 第 1 回全社合同オリンピックの開催
を徹底させた。ある社員はこう語る。
1976 (昭和51) 年頃の当社は、資本金1億円、売上高170億円規模
「不良債権をつくらない、短期回収を心がける、在庫はたくさん持 へと拡大し、全国9カ所の事業所に合計160名の社員を擁するまで
(注) たない。この『不況対策三原則』 (注) さえ守っていればどんな不況も になった。組織が大きくなるにつれて、一体感の醸成が求められる
“入るるを図り、出ずるを制す”「不況対策三原則」
とは、次の通り。 怖くないというのが栄三社長の持論で、よく『絶対に社員を路頭に ようになり、社員旅行も大掛かりなものとなった。
迷わせるようなことはしない、たとえ商売がゼロになっても2年間 1975年7月には第1回全社合同オリンピック (合同社員旅行) が開
[ 在 ] ザイ 在庫圧縮 余分な在庫は持たない
デッドストックをつくら は社員に飯を食わせていく』と話していました」 催された。それまでも営業所単位で社員旅行が行われており、それ
ない 第 1 回全社合同オリンピックのしおり CHRONICLE
[ 回 ] カイ 回収強化 短期回収に心掛ける を大阪では「運動会」と呼ぶ習わしはあったが、全国の社員が一堂に
集金を怠るな
[ 焦 ] コ 焦付厳禁 引っ掛かりをつくらない 会する機会はなかった。そこで4年に1回、全社員が参加する社員旅
CHRONICLE
与信管理を徹底する Ⅰ
[ 経 ] ケイ 経費節減 行を開催し、それを「オリンピック」と称したのである。 片山栄 一 と 時代 の そ
第1回全社合同オリンピックは、 7月12日から1泊2日で開催さ
れた。 7月12日は大阪のトヨタビル9階の大ホールにて創立記念
E.K
COLUMN- 24 「E.K ジャーナル」と「E.K ひろば」 式典が行われ、最優秀社員が表彰された。宿泊地には滋賀県のホテ
ルレークビワが選ばれ、翌2日はバスで京都観光を行った。
全社合同オリンピックは、その後も4年ごとに開催され、第2回は 大阪トヨタビル 9F 大ホールでの創立記念式典 Ⅱ
1975(昭和50)年9月、栄三社長が執筆す 年11月に出版された1冊目で、栄三社長はこ で。左から越後、長谷川、栄三社長 大阪 ら へ か 日 本全国
る「E.Kジャーナル」第1号が発行された。「E.K う語っている。 大阪営業所の企画により三重県の伊勢へ、第3回を東京営業所、第4 (1975 年 7 月 12 日)
ジャーナル」は栄三社長が A4サイズ2 ~ 3枚 回を札幌営業所、第5回を福岡営業所、第6回を仙台営業所というよ
にしたためたニュースレターで、請求書に同 「『E.K ひろば』と云う枷を自分自身に嵌め うに、全国各地の営業所が持ち回りで幹事を担当した。
封する形で発送されたため、届くのを楽しみ ますことは、自らの怠け癖に鞭打つ方策と心
にしていた得意先も多かったという。 得る様になりました。他方、自画自賛的で恐 Ⅲ
片山鉄建 精神 の
景気動向の分析から始まったこの企画は、 縮ですが、何年目かにお目にかかった御得意
常日頃の業務や財界著名人の言葉を通して 先様が、こんな粗末な書きものでも毎月お読
学んだ知恵などへとテーマを広げ、才知溢れ み下さることにより、まるで昨日お会いして
る言葉で得意先を魅了し、ファンを増やして いた様な雰囲気でご面談を頂き、身の引き締 越後と長谷川
いった。 まる思いを致したことも度々でございます。」 Ⅳ
1979年1月には「E.K ひろば」と改称し、 近年 片山鉄建 の
得意先から寄稿いただいた原稿を掲載した時
期もあったが、諸般の事情から再び栄三社長
の執筆に戻り、以後、逝去する直前まで33年
にわたり発行が続けられた。最終号が発行さ
れたのは2008(平成20)年2月であった。
ニュースレター形式だった
「E.K ジャーナル」「E.K ひろば」の内容は、 「E.K ひろば」と、出版さ 第
3冊の書籍としてまとめられている。1989 れた 3 冊の『E.K ひろば』 2 章
「「
鉄建
「
挑戦
第 1 回全社合同オリンピック(ホテルレークビワにて)
134 ◆ ◆ ◆ THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD. ˗ ˗ ˗ 135