Page 67 - 00_片山鉄建様_表紙
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1969 1978

     沿革編                                                                                                                                                                                                                                   沿革編
                                             列島改造ブームから第 1次石油ショックへ                                                                      工務店関係者からは「釘を売って欲しい」と言って現金を手に訪問を
                                                                                                                                       受けるなど、異常事態のなかでの事務所開きとなった。

                                               1972 (昭和47) 年、日本列島改造論を標榜する田中角栄が内閣総                                                        その後しばらくは品不足が続き、倉庫のデッドストックが一掃さ
                                             理大臣に就任すると、全国的に開発ブームが巻き起こり、一時的に                                                            れるほどの売れ行きを見せた。市況が平常時の2倍から3倍まで上

                                             低迷していた日本経済は再び息を吹き返した。多くの開発計画には                                                            がる一方、多少難がある商品でも飛ぶように売れたため、 1973年
                                             ゼネコンが関与していたため、当社にとって事業拡大のチャンスで                                                            から1974年にかけては未曾有の好業績を上げることができた。し
                                             もあったが、逆にゼネコンからの受注を縮小する方向に向かった。                                                            かし、石油ショックの影響は長引き、 1975年になると工場などの
                                               ゼネコンから受注した仕事は、高い利益率が確保できる一方でス                                                           倒産が相次いだ。当社も業績不振に悩まされ、同年に給与や賞与の                                                                      CHRONICLE

                                             ピードが要求される案件が多く、即納態勢には専属トラックも必要                                                            削減を実施した。                                                       当時の大阪トヨタビル
                                             になり、高利益率の割に実利益が出なくなった。そのため需要家課                                                              一方、 1974年には札幌営業所が北2条西3丁目の越山ビル4階に
     CHRONICLE
                                             は、プラント関連や直需家を対象とする商売と、ゼネコンを対象と                                                            事務所を移転したほか、同年11月には群馬県邑楽郡明和村 (現・明                                                                    Ⅰ
                                                                                                                                                                                                                                            片山栄 と 時代 の そ 一
                                             する商売のどちらを重視するかの選択に追われることになり、栄三                                                            和町) に北関東営業所を開設、 12月には同地に北関東倉庫を併設し
                                             社長はプラント・直需家の仕事を重視。結果、竹中工務店 (竹和会)                                                          て群馬・栃木・埼玉を対象とするビジネスを開始した。
                                             や清水建設 (兼喜会) の親睦会とも徐々に疎遠になっていった。                                                             北関東営業所の建設地は館林市の南に位置し、その敷地面積は
                                               需要の急増により、 1972年末から鉄鋼市況が急騰。翌1973年                                                        4,950㎡であった。そのうち、事務所133㎡、倉庫は2,179㎡で、倉庫

                                             には通産省の要請により小口需要家を対象とする鋼材販売斡旋所                                                             には10t、 5t、 3t のクレーンをそれぞれ1基、角波成型機を1基、切断                         大阪営業所の食堂                             Ⅱ
                                                                                                                                                                                                                                            大阪 ら か 本全国 へ 日
                                             の開設、小型棒鋼の増産、鉄屑購入量の抑制などが推し進められた。                                                           スリッター機を1基設置した。
                                             当初、亜鉛鉄板や着色亜鉛鉄板は鋼材販売斡旋所の対象品目ではな                                                              北関東営業所は、設置から間もない時期に株式会社ホシカメ・行

                                             かったが、夏場の異常渇水による工業用水の不足や電力制限が災い                                                            田営業所との出会いに恵まれ、今日まで取引が続いている。国道沿
                                             して生産が思うように進まず、対象品目への組み入れを余儀なくさ                                                            いで商売のための立地としては良好であったが、周辺は農地で、軽
              この頃の日本の鉄鋼輸出量推移
             (会社案内「鉄と人間」より)                  れた。                                                                                       トラックに商品を積んで売り歩くような小口商売が多く、また、競                                                                      Ⅲ
                                                                                                                                                                                                                                            片山鉄建 精神 の
                                               その後、市況は一時的に安定したが、 1973年10月に中東で発生                                                        合企業が多い上に日本鉄板の勢力が強い地域であったため、ビジネ
                                             した紛争が発端となった第1次石油ショックが日本経済を襲った。                                                            スを拡げていくには日本鉄板からの切り換え戦略が必須であった。
                                             狂乱物価のなかで流言飛語が飛び交い、洗剤やトイレットペーパー                                                                                                                           大阪営業所の駐車場と寮

                                             が市場から消える騒動が起こるなかで、鉄鋼二次製品も極端な品不
                                             足に陥り、価格が再び急騰した。                                                                                                                                                                               Ⅳ
                                               それまで0.27mm の薄物を中心としてきた屋根用の着色亜鉛鉄                                                                                                                                                              近年 片山鉄建 の
                                             板は、この頃、業界規格により0.35mm 以上へと改善された。品質

                                             改善に伴って価格が上昇したため、当初は買い控えも予想されたが、
                                             需給の逼迫を背景に、新規格のものも急速に普及した。

                                                                                                                                                                                                      北関東営業所事務所
                                             本社移転と、北関東営業所の開設                                                                                                                                                                               第
                                                                                                                                                                                                                                           2
                                                                                                                                                                                                                                           章
                                               1973 (昭和48) 年、当社は大阪市西区立売堀3丁目の大阪トヨタ
                                                                                                                                                                                                                                           「「
                                             ビル6階に本社を移転することが決まり、夏頃から準備を進め、 11
                                                                                                                                                                                                                                           鉄建
                                             月に完了した。新しい事務所の広さは約400㎡。広々とした事務所                                                                                                                                                               「
                                             に真新しい什器備品と設備を揃えて業務を開始したが、時はまさし                                                                                                                                                                挑戦

                                             く石油ショック発生直後で、売りたいのに物がない。一方で、市内の                                                           本社を移転した頃の大阪トヨタビルを眺む                                            北関東営業所倉庫




        130  ◆  ◆  ◆                                                                                                                                                                         THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD.   ˗  ˗  ˗  131
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