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1969 1978
沿革編 沿革編
ラックが列をなすこともある。そうした状況が続くのは、周辺地域
に対する環境への配慮の点においても改善が望まれていた。そこで
当社は、大阪の業界でいち早く倉庫の整備を計画し、東大阪の地域
開発拠点として整備されていた流通業務市街地に4,152㎡の土地を
確保し、 1968年より整地工事を開始した。
1970年7月、今日の大阪機械卸業団地に東大阪鋼材センターが竣
工した。その立地は中央環状線・中央線に接していて交通の便がい
E.K CHRONICLE
COLUMN- 23 栄三社長の流通論 1970 年頃の東大阪鋼材センター Ⅰ
CHRONICLE
片山栄 と 一 時代 の そ
片山鉄建への社名変更に先立ち、当社は得 対する心遣いについても、次のように語って いうえに、道を挟んだ向かい側にはトラックターミナルが完成、開
意先を対象として“片山に対する苦情をおっ いる。 業するなど、流通には最適の地であった。
しゃってください”というアンケートを実施 敷地内には建坪1,941㎡、幅36m、長さ55m の建物を2棟連ね (連
した。このアンケートは2回にわたって行わ 「片山鉄建専属の運送屋さんは片山艦隊の 棟式) で設営。そのままで当社取扱商品の見本となるように、鉄骨に
れ、2回目は大阪の得意先のみを対象にした 同胞である。 川崎製鉄の H フレーム、グレーの屋根に矢口式折版構造 YSK デッ Ⅱ
が、いずれも結果は同じで、価格や支払い条件 活動の一端を担って毎日手足のように働 キ65型、クリーム色の外壁には鉄板大波を使用した。倉庫設備は2t 大阪 へ 本全国 日 ら か
についての苦情は一切なく、多かった回答は いていただき、片山艦隊の目標達成のため クレーン2基、 3t クレーン2基、スリッター設備2基、フォークリフ
東大阪鋼材センター航空写真
①迅速な配達、②緊密的確な社内連絡、③豊富 に重要な役割を果たしていただいている。」 ト3基、そのほか附帯設備を整え、コンピューターシステム導入後は (1974 年桜田純弘氏撮影)
な在庫……の順となった。どの回答も“受渡し” (『KATAYAMA』1969年頃) データーライターとテレックスで本社と接続し、情報収集と活用に
に関する業務であると考えることができる。 Ⅲ
栄三社長は、これを当社のみならず仕入先 「御得意先の依頼で倉庫へ引取りに来る運 努めた。ただし、元は沼地であったため地盤沈下が発生し、たびたび 片山鉄建 精神 の
すべてに共通するものと受け止め、得意先は 送屋さんもまた御得意先である。 補修工事が必要になるなどの苦労もあった。
「要望を満たすことのできる問屋から品物を 仮にこの運送屋さんにつっけんどんな態度 同年8月には、仙台市宮城野区扇町にも倉庫兼事務所を竣工した。
仕入れる」と考えた。すなわち“受渡し”は、当 をとったために運送屋さんを怒らせると商売 敷地面積は4,280㎡、建物の1階を倉庫、 2階を事務所とした。従来
社の命運を左右する最重要課題であった。 も支障をきたす。運送屋さんも人間だからい の貸し倉庫から自社倉庫となったことと、東北の中心都市という立
ろいろな人がいるが、腹が立ってもそれをす 地条件に恵まれ、営業活動に良い結果をもたらした。 Ⅳ
仙台営業所の倉庫兼事務所
「受渡し部門こそ片山鉄建最大のサービス ぐに顔に表すようでは商売人ではない。私た 近年 片山鉄建 の
の場であり、“商売はサービスなり”が“商 ち全員は商売人であり、その部署にいる1人1 ヤマキ小林、三原商店の関連会社化
売は受渡しなり”に結びつくのであります。」 人が御得意先を大切にする一念に徹しておら
(『KATAYAMA』1969年頃) ねばなりません。必要以上に卑屈になれとは 1960年代末になると、函館で長年にわたり営業してきたヤマキ
申しませんが。 小林が、毎年春に資金繰りに苦しむようになった。北海道では雪が
受渡しは倉庫現場・受渡し事務部門・運輸 『私たちの熱意で血の通った商売をする』、 降り積もる冬季に工事が困難になるため、どうしても春先から秋に
部門から構成され、それぞれの部門は、以下の 運送屋さんに対しても全く同様であります。」 第 2
責務を負う。 (『KATAYAMA』1969年頃) 工事が集中することになる。板金店の資金繰りもまた、そのような 章
○倉庫における完全な商品管理 状況に左右されがちになり、冬の間は売上が上がらない。また、得意 「「
○迅速正確な入出荷及び輸送 このように、当社の社風の一つとなってい 先の事情に配慮すると、こまめに回収ができず、“ 盆暮れ勘定 ” に陥 鉄建
○営業との完全な協力態勢による受渡し活動 る取引先との同胞意識が、商品の受渡し一つ りがちになってしまう。 「
そして、お客様との接点を担う運送業者に にも反映されているのである。 当社は期日どおりの手形決済を中原七郎社長に迫り、話し合いの 挑戦
結果、当社がヤマキ小林の経営を引き継ぐことで合意に至った。以
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