Page 65 - 00_片山鉄建様_表紙
P. 65

1969 1978

     沿革編                                                                                                                                                                                                                                   沿革編
                                             ラックが列をなすこともある。そうした状況が続くのは、周辺地域
                                             に対する環境への配慮の点においても改善が望まれていた。そこで

                                             当社は、大阪の業界でいち早く倉庫の整備を計画し、東大阪の地域
                                             開発拠点として整備されていた流通業務市街地に4,152㎡の土地を

                                             確保し、 1968年より整地工事を開始した。
                                               1970年7月、今日の大阪機械卸業団地に東大阪鋼材センターが竣
                                             工した。その立地は中央環状線・中央線に接していて交通の便がい



                                                                                                  E.K                                                                                                                                      CHRONICLE

             COLUMN-     23      栄三社長の流通論                                                                                              1970 年頃の東大阪鋼材センター                                                                                   Ⅰ
     CHRONICLE
                                                                                                                                                                                                                                            片山栄 と 一 時代 の そ
                   片山鉄建への社名変更に先立ち、当社は得                       対する心遣いについても、次のように語って                                                      いうえに、道を挟んだ向かい側にはトラックターミナルが完成、開
                 意先を対象として“片山に対する苦情をおっ                        いる。                                                                       業するなど、流通には最適の地であった。
                 しゃってください”というアンケートを実施                                                                                                    敷地内には建坪1,941㎡、幅36m、長さ55m の建物を2棟連ね (連
                 した。このアンケートは2回にわたって行わ                         「片山鉄建専属の運送屋さんは片山艦隊の                                                      棟式) で設営。そのままで当社取扱商品の見本となるように、鉄骨に
                 れ、2回目は大阪の得意先のみを対象にした                        同胞である。                                                                    川崎製鉄の H フレーム、グレーの屋根に矢口式折版構造 YSK デッ                                                                  Ⅱ

                 が、いずれも結果は同じで、価格や支払い条件                         活動の一端を担って毎日手足のように働                                                      キ65型、クリーム色の外壁には鉄板大波を使用した。倉庫設備は2t                                                                     大阪 へ 本全国 日 ら か
                 についての苦情は一切なく、多かった回答は                        いていただき、片山艦隊の目標達成のため                                                       クレーン2基、 3t クレーン2基、スリッター設備2基、フォークリフ
                                                                                                                                                                                                      東大阪鋼材センター航空写真
                 ①迅速な配達、②緊密的確な社内連絡、③豊富                       に重要な役割を果たしていただいている。」                                                      ト3基、そのほか附帯設備を整え、コンピューターシステム導入後は                               (1974 年桜田純弘氏撮影)
                 な在庫……の順となった。どの回答も“受渡し”                     (『KATAYAMA』1969年頃)                                                         データーライターとテレックスで本社と接続し、情報収集と活用に
                 に関する業務であると考えることができる。                                                                                                                                                                                                      Ⅲ
                   栄三社長は、これを当社のみならず仕入先                        「御得意先の依頼で倉庫へ引取りに来る運                                                      努めた。ただし、元は沼地であったため地盤沈下が発生し、たびたび                                                                      片山鉄建 精神 の
                 すべてに共通するものと受け止め、得意先は                        送屋さんもまた御得意先である。                                                           補修工事が必要になるなどの苦労もあった。

                 「要望を満たすことのできる問屋から品物を                          仮にこの運送屋さんにつっけんどんな態度                                                       同年8月には、仙台市宮城野区扇町にも倉庫兼事務所を竣工した。
                 仕入れる」と考えた。すなわち“受渡し”は、当                      をとったために運送屋さんを怒らせると商売                                                      敷地面積は4,280㎡、建物の1階を倉庫、 2階を事務所とした。従来
                 社の命運を左右する最重要課題であった。                         も支障をきたす。運送屋さんも人間だからい                                                      の貸し倉庫から自社倉庫となったことと、東北の中心都市という立
                                                             ろいろな人がいるが、腹が立ってもそれをす                                                      地条件に恵まれ、営業活動に良い結果をもたらした。                                                                            Ⅳ
                                                                                                                                                                                                      仙台営業所の倉庫兼事務所
                  「受渡し部門こそ片山鉄建最大のサービス                        ぐに顔に表すようでは商売人ではない。私た                                                                                                                                                           近年 片山鉄建 の
                 の場であり、“商売はサービスなり”が“商                        ち全員は商売人であり、その部署にいる1人1                                                     ヤマキ小林、三原商店の関連会社化
                 売は受渡しなり”に結びつくのであります。」                       人が御得意先を大切にする一念に徹しておら
                 (『KATAYAMA』1969年頃)                          ねばなりません。必要以上に卑屈になれとは                                                        1960年代末になると、函館で長年にわたり営業してきたヤマキ
                                                             申しませんが。                                                                   小林が、毎年春に資金繰りに苦しむようになった。北海道では雪が

                   受渡しは倉庫現場・受渡し事務部門・運輸                        『私たちの熱意で血の通った商売をする』、                                                     降り積もる冬季に工事が困難になるため、どうしても春先から秋に
                 部門から構成され、それぞれの部門は、以下の                       運送屋さんに対しても全く同様であります。」                                                                                                                                                         第 2
                 責務を負う。                                     (『KATAYAMA』1969年頃)                                                         工事が集中することになる。板金店の資金繰りもまた、そのような                                                                      章
                 ○倉庫における完全な商品管理                                                                                                        状況に左右されがちになり、冬の間は売上が上がらない。また、得意                                                                     「「
                 ○迅速正確な入出荷及び輸送                                 このように、当社の社風の一つとなってい                                                     先の事情に配慮すると、こまめに回収ができず、“ 盆暮れ勘定 ” に陥                                                                  鉄建
                 ○営業との完全な協力態勢による受渡し活動                        る取引先との同胞意識が、商品の受渡し一つ                                                      りがちになってしまう。                                                                                         「
                   そして、お客様との接点を担う運送業者に                       にも反映されているのである。                                                              当社は期日どおりの手形決済を中原七郎社長に迫り、話し合いの                                                                     挑戦

                                                                                                                                       結果、当社がヤマキ小林の経営を引き継ぐことで合意に至った。以




        126  ◆  ◆  ◆                                                                                                                                                                         THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD.   ˗  ˗  ˗  127
   60   61   62   63   64   65   66   67   68   69   70