Page 72 - 00_片山鉄建様_表紙
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E・K 災い転じて福となす でも、兄の栄三は「そこまでやり 「捨てる神あれば拾う神あり」だ りあげていく必要があります。 E
インタビュー たいのならやってもいいが、お前 けど、捨てるほうには立ちたくない この10年から20年の流れを . K
Ⅳ 一人ではできないぞ。ほかの仕入 ですね。新しく店を築き上げるの 見ると、トタン板を売っていれば タ ビ ュ ー イ ン
片山茂会長(以下、片山) 先も説得して、当社と同じように は至難の業です。元気になる要 食えるという時代ではなくなりまし
戦後、当社は北海道に商圏を 担保も保証もなしに取引を続けて 素があるならば、今までの得意先 た。加工はもちろんですが、ここに
Ⅳ
拡げました。函館の山木小林銅 もらえるように話をつけてこい」と を育てていくのが商いの道ではな きて三原商店もヤマキ小林も工
鉄店 (現・ヤマキ小林) は、道内有 いう考えでした。 いかと思います。 事の注文を取っています。これか
数のトタン板販売店のトタン板 これは堪えました。お父様(三 らの北海道は、板金業者を抱え
を売っていました。それから、 原幸信氏)と一緒に取引先にお ほかの商社とは違う て、我々が仕事を取ってくるという
川崎製鉄と組んでトタン板のみ 願いに回りましたが当然思うよう ユニークさ 形態に向かっていくでしょう。
ならずコルゲートパイプや H には進展せず、中には「そんな仏 三原 栄三さんは、よく「商売は INTERVIEW
形鋼などにもビジネスを拡げて さんみたいなことできません」と言 創りあげろ、ベンチャーだ」「片
いました。 われたこともありました。そのなか 三原 茂会長は「儲けすぎてもい 山鉄建を日本一ユニークな会社
株式会社ヤマキ小林代表取締役社長 中原哲信氏
「片山鉄建への感謝」 思い で取り組んだ半世紀
の
株式会社三原商店
代表取締役社長 三 原 章 二 氏 進行/片 山 茂 会長
一方、札幌は大手問屋がしの で、三晃金属工業株式会社の岡 けない」適正口銭をいただくのだ」 にする」とおっしゃっていました。 ありながらもアットホームな会社
「
ぎを削っていましたので、当社は 山重役に共鳴していただいたお 「商品はお客様の面前まで届け 片山 板金会社が今求めている ですね。足の引っ張り合いばかり
北海道の津々浦々の地方販売店 陰でそのほかの取引先も同調して るのだ」とおっしゃって、宅配便の のは、カラー鉄板というより、忠実 している会社が多いけれども、片
Profile :Shoji Mihara に営業をかけていきました。その いただくことができ、大口決済が 例を挙げられました。 に働いてくれる作業員ですね。 山さんはそうではない。だから社
1922 (大正11)年、富山県高岡町にて創業。 トップバッターが帯広の三原商 全部棚上げになりました。 片山 ヤマキ小林もそうでした。 新川 工事会社には職人の頭数 員の定着率が他社よりも高いし、
1945 (昭和20)年より北海道・十勝清水町
で営業を展開する株式会社三原商店の第2 店でした。三原さんのご両親は富 三原 今日があるのは、そのお陰 板金会社と強く結びつくことが がいません。我々が「工」の分野 札幌でも徐々に若い世代が育っ
代社長。三原商店は1971 (昭和46)年に当社 山県の高岡町から北海道に来ら です。ふつうならばそうは行きませ できれば離れていきませんから、 に入っていくにあたっては、争うの てきているでしょう。
と事業提携を行い、道央地区における最重要
パートナーだった。 1985 (昭和60)年に社長 れて帯広駅前で商売を始められ ん。釘や針金は片山さんから買っ 三原商店とヤマキ小林の強みに ではなく、一緒になって職人不足 今振り返ると、そういう意味で、
に就任。社員数20名。 2019 (令和元)年6月 ました。ご両親は元日しか休まな ていましたが、ほかの扱い商品は なったと思っています。それをます を解消するという思いで取り組む ほかの商社とは違うユニークさが
22日逝去。享年70。
い働き者でしたが、ある時資金調 ほかの会社から買っていました。 ます強めていくべきですね。 必要があると思います。 あると思います。
達が難しくなりました。 片山さんとの関係が深まることを 片山鉄建の北海道での勢力は、 三原 片山鉄建さんは、厳しさが
三原章二社長(以下、三原) 言った途端に「うちは知りません」 今どれぐらいになったでしょうね。
その時、私は23歳でした。世 と相手にしてもらえない、そんな 三原 北海道では上のほう。関
の中のこともよくわからない若造 会社もありました。 連会社を全部合わせると、金額的
でした。事の重大性は理解できて 片山 「片山さんへ行きなさい」と にダントツでしょう。
も、どうすることもできず、片山さ 言われたそうですね。そういう場 新川 すでに札幌、函館、帯広、
んにすべてを委ねるしかありませ 面を経験しないと、世の中の本当 釧路に拠点がありますから、あと
んでした。 の裏まではなかなか見えてこない は北見と旭川があれば北海道全
片山 1年のうち元日以外364日 ものですね。 域に拡がることになりますね。
朝早くから晩まで、あんなによく働 三原 悔しくてね。いつか見返し ただ530万人の道民が、将来
くご夫婦はいないのに、その会社 てやるぞと。向こうから「売らせて 的には300万人前後まで減るとい
が潰れるのはおかしい。そう思っ ください」と来るようにしてみせる う話が出ています。販売だけで考
て、私が応援する決心をしたのが、 と思ったね。手のひらを返すとは えると、商売が行き着くところに行 座談会風景。左から三原商店取締役 三原康裕氏、片山茂会長、片山鉄建元常務取締役 新川豊作氏、
1971 (昭和46) 年の7月でした。 こういうことかと。 き着いてしまうので、ビジネスを創 三原商店元常務取締役 三原幸雄氏、片山隆之社長、三原商店代表取締役社長三原章二氏
(肩書き等は、2018年8月22日取材当時のもの)
三原商店取締役 三原康裕氏
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