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1979 1989

     沿革編                                                                                                                                                                                                                                   沿革編
                                             やすい。新しい方法は、両方の利点を活かしつつ、糖度が高く、着色
                                             がよく、病害虫の被害が少ない健全果を収穫することができるもの

                                             で、「マンズ・レインカット」と命名された。
                                               マンズ・レインカットの開発にあたっては、キッコーマンから「20

                                             年間使用できるものにしたい」という要望を受けた。雨ざらしの果
                                             樹園で用いるため、その素材には耐候性が求められるが、ステンレ
                                             スはあまりに高価であった。そこでメッキを施した海外の部材を使
                                             用して、コスト面でも安価に抑えることができた。                                                                                                                                                                       CHRONICLE

                                               マンズ・レインカットの成功により、マンズワインは高級ワイン
                                             を市場に送り出してヒットさせ、後に国産ワインコンクールで金賞
     CHRONICLE
                                             に輝くことになる。 1990 (平成2) 年2月、両社が基本契約を結んで                                                                                                                                                          Ⅰ
                                                                                                                                                                                                                                            片山栄 そ と の 一 時代
                                             マンズ・レインカットの販売に乗り出すこととなった。国内にお                                                             パーフェクトルーフ施工例(ミュージアムパーク茨城県自然博物館)
                                             けるブドウの栽培面積は2万8,400ha に及び、その地域は全国に広
                                             がっている。十分な需要が見込めることから、当社は全国の営業所                                                            しない。そのため、サビナシルーフを用いた場合、釘穴の周辺から腐

           昭和 50 年代頃の若井建鉄株式会社                に担当を置いて拡販を進めた。                                                                            食する恐れがない。ゴム層は金属が伸縮した場合のストレスも吸収
                                                                                                                                       するため、サビナシルーフが抱えていた難問を一挙に解決する施工                                                                      Ⅱ
                                                                                                                                                                                                                                            大阪 本全国 へ 日 か ら
                                             粘着工法との出合い                                                                                 法であると言えるものであった。
                                                                                                                                         また、粘着工法には、ゴム層が加わることで防水構造が二重にな

                                               1988 (昭和63) 年、当社は京都の鉄鋼建材を扱う老舗の若井建鉄株                                                     り、振動に強く、防音にも絶大な効果があったほか、完全防水構造で
                                             式会社 (現・株式会社ダイムワカイ) から粘着工法について情報を得                                                         屋根の保持力も優れていたことから、さまざまなデザインの建築物
                                             ることができた。粘着工法とは、素材の裏面に粘着ゴム層を貼って                                                            に対応することができた。このような特長は、建築物に高級化や多                                                                      Ⅲ
                                                                                                                                                                                                                                            片山鉄建 精神 の
           若井建鉄前会長の若井利文氏                     下葺材のオリジナルシートに面固定する施工法で、釘やビスを使用                                                            様性が求められていた時代において、大きな可能性を秘めていた。
                                                                                                                                         この施工法を知った当社は、それをオリジナル技術のパーフェク
                                                                                                  E.K                                  トルーフへと練り上げて、翌1989 (平成元) 年、サビナシルーフへの
                         28
             COLUMN-             縁から始まったパーフェクトルーフ
                                                                                                                                                                                                                              E.K          Ⅳ

                   暮れも押し迫った頃、たまたま東京営業所                       ドームの屋根に用いられたのは、インパクト                                                        COLUMN-     29      福岡営業所の丸棒商売                                                                     近年 の 片山鉄建
                 に片山茂支店長が在社していた折、京都の若                        が大きかった。その後、全国の有名な美しい
                 井建鉄のご子息2人が来社された。聞けば「東                       形状の屋根に当社の施工業者が関わることが                                                              福岡営業所の所長を担当した愛宕雍浩は、                       えがやるなら、やってみろ」と、愛宕所長を信
                 京へ出店したい」と言う。この初対面が、当社                       増えた。これは三井金属との関係と、フラン                                                             九州で丸棒の商売に興味を持ち、注力し始め                       頼し OK の返事を下す。
                 と若井建鉄との太い関係になっていった。                         スまで視察に赴いたことが大きく、また若井                                                             た。丸棒は当時、鉄筋コンクリートの心材と                         丸棒の大口商売では、商社でも失敗して大

                   若井建鉄東京店は、スタートから当社と一                       建鉄との縁でできたことである。                                                                  して全国的によく売れ出していた。これは、売                      損を出した会社が多かったが、命をかけて丸
                 体となる。同社がパーフェクトルーフ工法を                          パーフェクトルーフは、日本の建築にこれ                                                            値は今の相場で決め、買値は先物……例えば3                      棒に取り組んだ愛宕所長のおかげで、福岡営                              第 3
                 考案し、三井金属鉱業の共同協力も加わって、                       までなかった、全く新しい耐久力のある、しか                                                            カ月から6カ月先に買契約をすればよいとい                       業所の丸棒の数量はどんどん増えていった。                              章
                 順調にサビナシルーフの製品ができあがっ                         も自然で美しい屋根外装が施工できるものに                                                             うもの。この先物売買は、当たったら面白い                       そして1988(昭和63)年頃には、その丸棒の                           求 め て を 新素材・新 工 法
                 た。当社もスタート時から一体となり、協力                        なった。                                                                             ほど利益が出るが、逆の場合もあり、このよう                      月間売上が1万 t、年間売上が最高14万 t で
                 した。この商品・工法の開発は、時代をリー                                                                                                         な商売は当社向きではなかった。愛宕所長が                       年商が100億円になったのは本文で述べたと
                 ドするインパクトがあった。なかでも、札幌                                                                                                         栄三社長に直接相談すると、栄三社長は「おま                      おりである。







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