Page 80 - 00_片山鉄建様_表紙
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1990 2000

     沿革編                                                                                                                                                                                                                                   沿革編
                                               3つ目は、ワインメーカーへの拡販。マンズワインのブランドを活                                                          外進出が相次いで産業の空洞化が発生した。この頃になると、台湾・
                                             かして、そのノウハウを売りにしていった。                                                                      韓国の人件費は上昇し、代わりに中国が世界の工場としての役割を

                                               4つ目は、役所への拡販。当時の自治体では地域活性化の試みが盛                                                          担うようになった。
                                             んに行われており、特産品としてワインの開発を行う地域も少なく                                                              当社は、 1987 (昭和62) 年より台湾の翊亨有限公司との取引を開始

                                             なかった。                                                                                     して、台湾製の線材を輸入していた。しかし平成に入り台湾製品も
                                                                                                                                                                               リンカンチン
                                               このような戦略のもとに拡販を進めると同時に、当社では豊針金                                                           競争力がなくなったため、 1990年に同社の林漢錱氏とともに中国
                                            (超厚メッキ鉄線) 、スーパー Z 豊 (超厚メッキ鋼線) 、サビナシワイヤー                                                    の上海、寧波、天津周辺にある小規模メーカーを視察。縁あって寧波
                                                                                                                                                                                                      指定工場にて林漢錱氏と
                                            (樹脂焼付メッキ鋼線) 、恵針金 (ビニール被覆3種メッキ鉄線) 、ステン                                                      の工場に翊亨有限公司が出資し、翊亨余姚五金有限公司を設立した。                                                                     CHRONICLE
                                             レス線などの果樹用針金や、ドブメッキパイプ、農ビ管などのビニー                                                             翊亨余姚五金有限公司からは、翊亨有限公司経由でスペーサー (鉄
                                             ルハウス関連資材などの販売にも注力した。                                                                      筋の受け金具) を主に輸入することになった。当初は社員2、 3名の
     CHRONICLE
                                               マンズ・レインカットは、 1990 (平成2) 年より長野県長門町 (現・                                                   零細企業だったが、当社との取引も順調に伸び、最盛期には月12 ~                                                                    Ⅰ
                                                                                                                                                                                                                                            片山栄 時代 そ の と 一
                                             長和町) で採用された後、各地でも採用され広がっていった。また、                                                          13コンテナ (20F 換算) に上ることもあった。
                                             広島県沼隈町 (現・福山市) でも1991年に農場30a(アール=3反) で                                                      中国・台湾貿易においては、これらスペーサーをベースに農資材、
                                             採用されるなど、順調なスタートを切った。だが、地域農協の利害関                                                           漁業資材、建材、防獣ネットなど多岐にわたり、 30余年の長い年月、
                                             係などに起因する予想外の障壁に直面することもあり、採用農家の                                                            大きなトラブルもなく現在も輸入業務は拡大継続している。
                                                                                                                                                                                                      左から林氏、阪本
                                             多くは山梨県・長野県・新潟県に集中していた。                                                                                                                                                                        Ⅱ
                                                                                                                                                                                                                                            大阪 へ 本全国 か ら 日
                                                                                                                                       新工法の開発

                                             バブル崩壊と中国の台頭
                                                                                                                                         バブル崩壊の後も SP チームは好調で、メンバーを増員して拡販
                                               バブル時代を通して上昇を続けた日経平均株価は1991 (平成3)                                                        を進め、大阪営業所では売上の4分の1を担うまでとなり、設計事務
                                             年に反落し、翌年には地価も下がり始め、大型建設プロジェクトも                                                            所との折衝や自治体への同行 PR などの実績から、サビナシルーフ                                                                    Ⅲ
                                                                                                                                                                                                                                            片山鉄建 の 精神
                                             鳴りを潜めた。                                                                                   やパーフェクトルーフのみならず、さまざまな新素材の販売に実績
                                               需要減少の影響をまともに受けた大手高炉メーカーは1993年、                                                          を上げた。
                                             1994年に赤字決算を余儀なくされ、その後は徹底した合理化を進                                                             関西空港の屋根材としても使用されている特殊ステンレス

                                             めていく。福岡営業所の丸棒販売は急速に縮小し、 1992年には丸                                                         「447J1」は、チタンと同等の耐食性をもつとされる。この「447J1」を
                                             棒の価格がピーク時の3分の1まで下落した。そこで、福岡営業所は                                                           初めて実際に建築物に採用したのは、当社が1994 (平成6) 年に竣工                                                                 Ⅳ
                                             より安定的に収益を上げる形への転換を図るため、需要家の開拓に                                                            させた石川県水産総合センターであった。現場は海辺にあり、潮風                                                                       近年 片山鉄建 の
                                             注力することとなった。                                                                               にさらされるため、金属が傷みやすい。「447J1」が採用されたのも

                                               小売市場では流通改革が進み、 1990年代半ばにホームセンター                                                         それゆえのことであった。
                                             の店舗数が3,000店、売上高が3兆円を超える一方で、中小小売店の                                                           また、発色ステンレス「ルミナカラー」を日本で初めて採用したの
                                                                                                                                                                                                     「447J1」施工例(石川県水産総合センター)
                                             廃業が相次いだ。問屋への販売が奮わず利益確保に苦しむ状態が続                                                            も当社で、姫路市の商店街でアーケードの柱用として使用され、エッ

                                             くなか、当社においてもホームセンターとのビジネスが次第に大き                                                            チングを加えて非常に趣のあるものに仕上がった。                                                                             第
                                             な割合を占めるようになった。北関東営業所では、 1995年3月に農                                                           これらの新素材に加え、 1995年頃になると当社独自工法の開発                                                                   1
                                                                                                                                                                                                                                           章
                                             業分野に特化したホームセンターを展開する株式会社ファームラン                                                            も進められた。
                                                                                                                                                                                                                                           ル ブ バ 経済
                                             ド (現・ファームドゥ株式会社) との取引を開始し、新ジャンルへの取                                                         「H ルーフ」はプッシュロックシステムの嵌合固定工法によって

                                             り組みを積極的に進めた。これが後に、 2002年から取引を開始する                                                         作業効率の向上を図るもので、強靭性や耐水性にも優れていた。
                                                                                                                                                                                                                                           「
                                             株式会社コメリとの商売へと発展していく。                                                                       「フラットルーフ」は完全防水性能をもつ竪平葺きで、加工も迅速                                                                     崩壊

                                               バブル崩壊以降は深刻な円高となり、家電業界や自動車業界で海                                                           に行えた。                                                          H ルーフ施工例
                                                                                                                                                                                                     (株式会社三井ハイテック直方事業所 直方工場)



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