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1990 2000
沿革編 沿革編
業所長となって、さらにスキルを積んでいった。 しかし、材料である亜鉛の急騰により、サビナシルーフはカラー
その後、隆之は1999年に大阪本社勤務となり、取締役営業推進 鉄板やガルバリウムに対する競争力を失っていく。 2000年代に入
室長に就任。中国営業所は岡山営業所と名称変更し、新所長のもと ると SP チームは解散し、三井金属鉱業も2007年12月にサビナシ
新しい地域を開拓していくが、 2000年11月に閉所。その後は従前 ルーフの販売中止を決定した。
どおり、大阪営業所のテリトリーに戻って徐々に実績を上げ、現在
E.K
では岡山県における JFE 比率が逆転するまで商圏の拡大へとつな COLUMN- 31 国内最大・札幌ドームの建設秘話
がっている。
1998(平成10)年6月より約3年間の工期 完成披露式典当日にも工事は継続中…… CHRONICLE
札幌ドームがステンレス協会賞を受賞 を経て、2001年5月に竣工した札幌ドーム 施工にあたっては、道内はもちろんのこと
は敷地面積305,230㎡、建築面積55,168㎡ 全国から人員を集め、多いときには約100名
CHRONICLE
1990年代後半にはデフレ経済が進行し、バブル時代の不良債権 Ⅰ
で、固定型シェル型の屋根には厚さ0.3mm の が屋根の上で作業を行っていたが、冬期の施 片山栄 の 時代 そ 一 と
回収が滞ったことから、金融機関の経営破綻が社会問題となった。 ステンレス約80t が敷き詰められている。大 工ができないこと、鉄骨工事が大幅に遅れた
特に1997 (平成9) 年の北海道拓殖銀行の破綻は地元中小企業に大 成建設と竹中工務店の共同事業体(JV)によ ことにより経費が利益を圧迫した。また、雪
きな影響を及ぼし、資金繰りの悪化から倒産する得意先が相次いだ。 るこの建築物は、国内における最大級のドー 止めを設置するなどの仕様変更もあって工期
その一方で、 2001年に第9回ステンレス協会賞の優秀賞を受賞し ム建築として、現在においても名声をほしい 遅れが発生し、完成披露式典の当日にも工事
た札幌ドームをはじめ、岡山県の宮本武蔵顕彰武蔵武道館、三重県立 ままにしている。 が継続中であるという状況となった。 Ⅱ
熊野古道センター、宮城大学など、パーフェクトルーフによる代表的 しかしながら、日本一の大屋根を建設した 大阪 日 へ 本全国 ら か
建築物を相次いで受注することができたのも、この時期であった。 当社と T 社の折衷案で進めることに !? という実績は、ブランドイメージの向上につ
当社は、1994年12月に開業したニセコ ながった。北海道においては、このほかにも
また、独自工法に関しても、吊子をハゼ自体に組み込むことなどで
東山プリンスホテル新館(現・ヒルトンニセ SUS445MT を使用したドーム型総合体育館
独自の段差構造を生み出し、緻密に計算された防水システムを可能
コビレッジ)の建設において大成建設と深い 「サン・ビレッジいしかり」(2000年竣工)や、
にした「ユニライン」など、施工性や耐風圧性に優れたものを新たに Ⅲ
パイプを築き上げるとともに、パーフェクト 日本最大規模のパイプオルガンを備えた「札 片山鉄建 の 精神
加え、大阪府のラポートデイサービスセンター(ユニライン) 、熊本県
ルーフに対する理解を得ることができた。札 幌コンサートホール Kitara」(1997 年完成)
の JA 阿蘇小国郷野菜集出荷所 (H ルーフ) などの建築に携わった。
ユニライン施工作業中(富合町立富合小学校) 幌ドーム建設を受注したのも、パーフェクト などの受注が相次ぎ、パーフェクトルーフの
ルーフの活用が前提であったため、当社は札 存在感はますます高まっていった。
幌の設計事務所・株式会社アトリエブンクと
ともに、パーフェクトルーフの特性をいかん Ⅳ
なく発揮できるような設計にこだわった。 近年 片山鉄建 の
しかし、当社が提案した設計に対し、竹中
工務店側のステンレスによるシームレス工法
が対峙する形となり、設計・仕様が定まらな
いまま基礎工事が開始された。パーフェクト
ルーフを全面的に採用しなければ理想的な形
状を実現できないと当社は考えていたが、最 第 1
終的には両社の案を折衷する形となり、数カ 章
月を経て設計・仕様が決定することとなった。 札幌ドーム ル 経済 バ ブ
「
崩壊
パーフェクトルーフの代表的建築物である宮本武蔵顕彰武蔵武道館
160 ◆ ◆ ◆ THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD. ˗ ˗ ˗ 161