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2001 2016
沿革編 沿革編
転し、東北営業所として業務を開始した。移転の目的は東北6県へ と考えられた。そこで、メーカーやユーザーとの関係を緊密化する
のサービス強化で、その立地は、都心から離れてはいるものの東北6 意味合いもあって、東京営業所を15年ぶりに八丁堀に戻し、浦安営
県の中心部に位置し、東北自動車道水沢インターチェンジや、東北 業所の営業を八丁堀に集約したのである。
新幹線水沢江刺駅からも近い。東北全体を視野に入れた場合には、 移転・集約に伴って、松戸の社屋を松戸物流センターとして在庫・
仙台にあるよりもむしろ江刺のほうが交通事情に恵まれていると言 配送機能に特化するとともに、旧東京本社を会議用の施設とした。
える。 2007年1月には愛知県岡崎市針崎町に東海営業所を開設した。
江刺加工センターは敷地面積約9,000㎡、工場建屋の面積は約 所員は当初2名で、その後、岡崎駅前・羽根に移転。 2019年には名
2,400㎡。工事店向けの営業強化を図るため、 JFE 鋼板からの機械 古屋駅前に移転、大阪営業所の管轄で営業を開始した。 CHRONICLE
貸与で、最新のロールフォーミングマシンを導入して、嵌合式、ハゼ
式、角波などの金属屋根・壁の成型加工を行えるようにした。江刺
CHRONICLE
加工センターを設置した背景には、保管スペース拡張により JFE 製 Ⅰ
片山栄 と 一 そ 時代 の
品のラインナップ強化を図る狙いもあった。
江刺加工センター外観
当社が非住宅向けの成型業務に乗り出すのはこれが初めてのこと E.K
であったが、これをきっかけとして東北営業所の業務は商社的販売
COLUMN- 33 東京営業所の変遷
から加工品販売へと大きく変わっていく。
成型工場の立ち上げはまさに手探りであった。当初は重点得意先 Ⅱ
1953(昭和28)年 1974(昭和49)年 大阪 日 本全国 へ か ら
を中心に営業を展開し、設計折り込み営業を通して非住宅屋根物件 富永ビル(日本橋)入り口付近の約1坪 関銑ビル(1階の1フロア、70坪弱)
の比率を高めることで少しずつ厚物の比率を高めていったが、その ほどを借りる 1989(平成元)年
過程においては、新規開拓、既存得意先のフォロー、競合との軋轢の 1955(昭和30)年 八丁堀4丁目の隣接地の土地・建物を
ほか、仙台営業所時代から続く販売先との取引の中止を余儀なくさ 西勘商店(八丁堀2丁目、現・西勘ビル) 買い増しする
れることもあった。今日、東北営業所の主力となる得意先は大きく に移る (まつき呉服店より) Ⅲ
変化したが、それも立ち上げ時のさまざまな苦労の賜物であると言 新川2丁目(越前堀)で倉庫を借りる 1990(平成2)年4月 片山鉄建 の 精神
えよう。 同年 11月 八丁堀4丁目建物改装し、関銑ビル退去
これを皮切りに、全国の工場に続々と成型機・加工機が導入され 入船町1丁目(平澤金庫工場跡地)の倉 ととももに
庫兼住宅部分を取得 営業所関係は松戸へ、本社部門は八丁堀
るようになる。
1956 (昭和31)年 に残る Ⅳ
八丁堀4丁目……鬼頭鋼材より購入 2005(平成17)年2月 近年
東京・名古屋の再編成 西勘商店ビルから移る(現・東京別館の 松戸より八丁堀のトヨタ八丁堀ビルに 片山鉄建 の
駐車場部分) 移転し、現在に至る
重工業を中心とする中国経済のめざましい成長は、鉄鋼原料の価 1973(昭和48)年 同年 8月
格高騰につながった。これにより、 2004 (平成16) 年にはガルバリ 甲東ビル(1階及び4階の2フロア) 浦安営業所を八丁堀に集約
ウム鋼板などが値上げとなり、当社の売上も急増したが、経常利益
を改善するにはさまざまな改革を進める必要があった。 第
当社は、 2005年2月に東京営業所を中央区八丁堀のトヨタ八丁堀 2
章
ビルに移転、東京本社と集約した。 2000年に浦安営業所を設置して
ロ ー グ 環境 と バ ム ズ リ
以来、松戸の東京営業所とその下部組織である浦安営業所で営業や
在庫、配送業務の重複があり、業務効率の改善が課題となっていた。
また、松戸は都内に比べて交通の便に難点があり、情報収集に向い
ていないため、それが来客数の激減や業績悪化の原因になっている
「
時代
168 ◆ ◆ ◆ THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD. ˗ ˗ ˗ 169