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2001 2016
沿革編 沿革編
地方ビジネスの再構築 続いて2005年1月には同じ目的で釧路吉田鋼機の株式100% を
取得し、業務提携を行った。釧路吉田鋼機は釧路市入江町に存在し
2000年代には営業所への成型機導入が相次ぐことになるが、そ た会社で、 1973年1月設立。道東地区でカラー鋼板の成型品を販売
れ以外の意味においても、地方ビジネスは大きな転換を迫られてい していた。業務提携を行った当時の社員は8名であった。
た。 2006年10月には、当社釧路営業所と釧路吉田鋼機の相乗効果を
かつて開発が盛んに行われていた時代には、北海道だけで土木の 狙って、釧路市鳥取南4丁目の敷地8,580㎡を取得し、それぞれの
売上が年間25億円近くを占めたこともあった。販売構造の変化に 新社屋を建設、移転した。釧路営業所の事務所は1階建て166㎡、鋼
より、北海道では新たなビジネスモデルの構築が緊急の課題となっ 材倉庫は鉄骨造990㎡で、付帯施設として4.8t と2.8t の天井走行ク CHRONICLE
た。 レーン各1基が備えられた。釧路吉田鋼機は事務所が1階建て132㎡、
所員の平均年齢が上がってきていた仙台営業所では、全国の営業 加工工場が鉄骨造990㎡で、 5t と2.8t の天井走行クレーン各1基が
CHRONICLE
釧路営業所
所から若手社員を集めて世代交代を進めた。さらに、江刺加工セン 備えられた。 Ⅰ
片山栄 時代 の そ と 一
ターの設置、東北営業所への改組 (P167で詳述) といった試みにより、 また、釧路営業所の倉庫には軽量形鋼、鋼板、角パイプ、軽量形鋼
東北一円にフットワークを活かした営業を図ろうとしていた。 C 形 (カラー) 、カラーコイル、紙管巻ステンレスなどを在庫。釧路吉
北関東営業所は、株式会社コメリとの取引を2002 (平成14) 年6月 田鋼機の加工工場には新たに角波・丸波 (914巾) 、 3.5t アンコイ
より開始した。新潟市に本社を置くコメリは全国でホームセンター ラーを1基ずつ導入するとともに、旧工場から横葺、フラットルー
を展開、その店舗数は約1,200店と業界随一を誇っており、当社全 フ、ストッパールーフ、蟻掛、立平葺などの加工機を移設した。それ Ⅱ
大阪 ら か 日 へ 本全国
体から見ても最大の取引先へと成長した。 までの工場は狭くて長尺の成型加工をする際に不便であったが、新
福岡営業所は2003年、鉄筋の在庫販売から撤退する方針を決定 工場はラインが連結しており、きめ細かなユーザー対応も可能に
し、鉄鋼・建材商品を主軸とした営業に舵を切った。建設投資の減 なった。
少で、工事量が激減するなか、さらに丸棒販売の領域でライバル社 その後、釧路吉田鋼機は北海道長尺金属との業務効率化を徐々に
が登場し、丸棒でかつてのような高水準の利益を確保するのが難し 進め、 2008年2月に2社の商圏、人員を統合した。統合にあたって、 Ⅲ
片山鉄建 精神 の
いと判断したためであった。 2004年には福岡市東区松田1丁目に 釧路吉田鋼機が存続会社となり、北海道長尺金属は休眠会社となっ
事務所、営業倉庫を賃借して移転。翌2005年には天井クレーンを設 た。そして北海道長尺金属は2012年に解散した。
置し、定尺切断機を導入して、今日の営業形態への転換を着々と進
福岡営業所
めていった。 東北営業所と江刺加工センターの設置
Ⅳ
釧路吉田鋼機との提携 2004 (平成16) 年10月、仙台営業所は扇町の敷地、倉庫ヤードを 近年 片山鉄建 の
ともに売却して、岩手県江刺市 (現・奥州市江刺) 愛宕酉丸地区に移
北海道の根室・釧路地区は、戦後、水産・炭鉱・製紙といった産
業が経済を支えてきたが、バブル崩壊以降は景気低迷が続き、さま
ざまな需要が落ち込んだ。そこで、当社は成型材の販売強化に乗り
出し、親派板金店の受注を確保する戦略を立て、 2002 (平成14) 年3 第
月に北海道長尺金属株式会社の経営権を取得した。 2
章
北海道長尺金属は釧路の金属屋根・壁材成型加工販売店で、 1966
ロ グ ー リ バ と ム ズ 環境
(昭和41) 年に設立。横葺、角波など板金成型設備を持ち、板金店を
得意先として年商7,000万円のビジネスを行っていた。しかし、後
継者問題に悩んでいたことなどから、当社の傘下に入る話が持ち上
北海道長尺金属 がったのである。 東北営業所倉庫
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時代
166 ◆ ◆ ◆ THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD. ˗ ˗ ˗ 167