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Chapter1
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沿革編 沿革編
第 章 1990 2000 SP チームの展開
(平成 12)年
(平成 2)年
パーフェクトルーフの技術を得て、サビナシルーフは年間30億
崩 経 壊 の バ ブ ル 済 片山茂の社長就任 円規模にまで売上を伸ばした。それを受けて、当社では2カ月ごと
に社内で「パーフェクト会議」を開いて、得意先の攻略や販売方法に
1990 (平成2) 年2月、当社社長を37年にわたって務めた片山栄三 ついての議論を重ね、結果を SP マニュアルにまとめた。その過程
が会長となり、新たに片山茂が社長に就任した。誰よりも茂新社長 で浮かび上がってきたのが、「工法」の研究を推し進め、設計事務所
本人が突然の交代に驚いたというが、栄三会長の本意は後継者の育 にパーフェクトルーフの設計折り込みを促す作戦で、営業担当者に CHRONICLE
成にあったのかもしれない。社長交代による大きな組織変更はなく、 はシステム・コンダクターの役目を兼ねた技術商社的な動きが求め
茂社長が東日本を、栄三会長が西日本を担当するという事業の構造 られた。
CHRONICLE
も変わることはなかった。 1991 (平成3) 年に設けられた SP チームを展開するにあたり、東 Ⅰ
片山栄 そ と の 時代 一
東京営業所は入居していた八丁堀のビル建て替えに伴って移転す 本部と西本部にそれぞれマネージャーを、また、東京・大阪ほか各
ることになり、同年4月、松戸市上本郷の松戸倉庫の敷地内に倉庫 営業所に専任の担当者を置いて、 4つの目標を立てた。
と隣接する形で建設した6階建ての新社屋に拠点を移した。東京営
業所の名称はそのまま継承し、八丁堀には事務関連部署・本社部門 ①設計事務所の得意先化
だけが残った。東京支店は本社に昇格して東西二元本社体制となっ ②代理店網の確立 Ⅱ
大阪 本全国 へ ら か 日
たが、これは茂社長が東京を拠点としていたため、本社と名称を変 ③工事受注の充実
更したものであった。 ④パーフェクトルーフ販売の仕組みを活用した他品種への展開
1991年の中期経営計画では、新規開拓を「生き残り戦略の最重点」
に位置づけるとともに、開発事業部を設置した。開発事業部は「物を 大阪の SP チームは当初2名で、女性社員が宣伝活動を行って情
売る」のではなく「ソフトを売る」、すなわち「お客様が待ち望んでお 報を集めていた。そのなかで関心を持った得意先や設計事務所を訪 Ⅲ
片山鉄建 精神 の
られる素晴らしい提案」を売る事業を展開するもので、その考えを 問して技術説明を行い、最終ユーザーにも同行して設計折り込みへ
実現する部署として、開発事業部の下に「SP チーム」と「MR チーム」 と落とし込んでいった。
「
を置いた。「SP」とは、サビナシルーフとパーフェクトルーフ、MR」
とはマンズ・レインカットの略称で、従来の亜鉛鉄板の売上が減少 MR チームの展開
するなか、いずれも新しい柱となることが期待されていた。 Ⅳ
松戸スチールセンタービル MR チームは、マンズ・レインカット拡販のために4つの戦略を 近年 の 片山鉄建
立てた。
1つ目は、地域販売協力店の確立。求めるのは、従来の果樹資材の
販売にとらわれずに新しい日本の農業を真剣に考えてくれる協力店
であった。ただ資材を納入すればいいというわけではなく、栽培に
対する知識とそのアフターフォローをするノウハウそのものが商品 第
の特徴であることから、一歩踏み込んで協力してもらえる販売店で 1
章
なければ売るのが難しいためである。
バ ブ 経済 ル
2つ目は、果樹試験場、地元有力者の協力による宣伝活動。この作
戦では、農協、経済連、大学農学部、農業大学校、普及所、果樹試験所、
「
有力農家など、栽培のプロがマンズ・レインカットの効果を裏付け 崩壊
パーフェクトルーフ施工例
(みなべ町立岩代小学校体育館) パーフェクトルーフ施工例(名古屋グリーンカントリークラブ) ることで、農家を啓蒙し、浸透させることを目指した。 マンズ・レインカット施工例
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