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1979 1989
沿革編 沿革編
高価にならざるを得なかったからである。
E.K
サビナシルーフは後に当社の利益商品として大きな成長を遂げる
COLUMN- 27 「釧路 安本」から「釧路 片山」の開設 文=片山 茂 ことになるが、その業績は一朝一夕に築き上げたものではなく、絶
え間ない技術改善や綿密な販売戦略の末に商品としての作り込みを
戦後、大阪地方問屋の統制経済体制が撤廃 順調に取引も拡大していった。
されて自由経済となり、他の会社が通常の全 そんな折、安本社長が癌にかかられ、全く不 積み重ねた結果、初めて実現したものであったと言える。
国展開をしていく流れのなかで、当社は距離 幸にして急逝された。まだまだ若いのに、アッ
の遠いところから営業展開を始めた。片山栄 という間の出来事であった。 札幌鉄鋼センターの増築
一社長の大英断である。 こんなことが起こるとは思わなかったが、 CHRONICLE
北の端は、日本国内では北海道。それも当 その後、安本は大きく変わる。今田副社長(哲 札幌鉄鋼センターは、メーカー直営のヤードとして土木需要開拓
時の中心都市は札幌・小樽地方であったが、 馬氏の妻の弟)と娘婿(若手営業の男性)が後 に大きく寄与していた。しかし開設から15年を経て当初の目的を
CHRONICLE
当社はスタートから全北海道で展開した。た を引き受けることになった。当社は、あまり 充分に果たしたことから1982 (昭和57) 年に会社を清算し、当社が Ⅰ
片山栄 そ と 時代 の 一
またま東部の港町・釧路で若くして独立開業 彼らとの関係ができていなかった。また、社 その土地・建物を引き継いで製品倉庫として活用することになっ
した「安本」(旧・安本商店)は、創業者・安本 長の急死というショックでお互いに気が回ら た。それまで当社は郵船海陸から倉庫を借り、石狩から全道に商品
哲馬氏が鉄を中心とする商売に励んでいた。 ない点もあった。いずれにしても、社長以下 を貨物輸送していたが、取扱量の増加とともに自社倉庫の必要性が
氏は、1918(大正7)年生まれ。釧路で開業し の人たちとの親身な関係に欠けていた。 高まっていたため、旧札幌鉄鋼センターの清算は、当社にとっても 増築工事中の札幌鉄鋼センター
て商売を進めていた頃、仕入先を求めて大阪 当社サイドに、過信もあったかもしれない。 川崎製鉄にとっても有益かつ発展的なものであったと言える。 Ⅱ
まで訪問したときのこと。偶然にも当社の社 こんなときこそ一緒に考えなければならないと 大阪 へ か 本全国 日 ら
長、片山栄一と会うチャンスがあり、その人格 ころ、逆に気持ちが離れていった側面もある。 同センターの引き継ぎにあたり、当社は石狩にあったスリッター
にひと目ぼれしたという(この話は、私は本人 ほぼ“Only”と思っていた得意先との関係も、互 設備を移設。その後も設備投資を進め、 1983年に瓦棒・蟻掛・角波
から直接幾度も聞かされた)。 いに力を尽くさなくなれば急変が起こる。 などの薄物成型設備を設置して板金店への直接販売を開始した。翌
一方、当時の当社は、大阪から一番遠い地・ 当社の立場は、債権確保と商権確保である。 1984年には、川鉄鋼板札幌営業所が川鉄商事内に開設されている。
釧路とどんどん縁が深くなっていった。安本 恐ろしいことだが、私も徹底的に取り組んだ。 事業の発展とともに、札幌鉄鋼センターは次第に手狭となった。 Ⅲ
片山鉄建 精神 の
も、釧路道東トップクラスの販売力のある店 期間はかなりかかったが、終末時の売掛債権 そこで当初の敷地800坪に川崎製鉄が所有していた隣接地1,200坪
功労者である北神への川崎製鉄からの感謝状
に発展し、道東の商売は順調に拡大していく。 は、ピンチに投入した応援資金も含めてなん を購入して拡張し、 1988年5月から倉庫の増築に着手、 9月に完成 (1988 年)
すでに取引額も大きくなり、安本と当社の とかすることができた。一方、釧路営業所を させた。
信頼関係が深いものとなっていた頃から、私 開店し、元安本の社員3名に入社していただ 一方、道東における拠点の強化も進められ、 1981年3月には釧路
も交わりを深めた。ことに安本哲馬氏とは、 き商権の確保に進んだ。 市錦町のアベビル2階に、以前より釧路に駐在していた社員を所長 Ⅳ
切っても切れぬ信頼関係になっていった。 後に、その中の一人である新川豊作氏は、そ とする釧路営業所が開設している。 近年 の 片山鉄建
例えば年に1、2回、安本社長は東京か大阪 の後の人生を当社に尽くしてくれた。釧路片
に出て来る。私は必ずお迎えし、交友を深め 山営業所を発展させ、当社の役員として、札幌
た。一方釧路では、片山鉄建の札幌所長以下担 所長として、オール北海道の商売を、残る人生
当者が、共通の目的である商売に全力を注い を、片山鉄建に捧げてくれた。創業者・安本
だ。もちろん、主力商品である板は当社の扱 哲馬氏との深く親しい関係がこの様なご縁を
う川鉄系のものが主力となり、その当時、川鉄 生み出してくれた、と心から感謝している。 第
が力を注いだ土木用鋼材なども、道東向けの さまざまな言い尽くせぬ苦難の道であった 3 章
商品を安本が扱うことが多くなっていった。 が、当社の道東の商売は、その後現在に至るま 新素材・新 工 求 て め を 法
大阪の片山鉄建と釧路の安本は、互いに で大きく拡がっていくことができたのである。
トップ同士が信頼し合う密接な関係となり、
倉庫を増築した札幌鉄鋼センター 移転前の釧路営業所倉庫
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