Page 71 - 00_片山鉄建様_表紙
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E・K                                  片山鉄建との出合い                    の安定のために、なんとかメー                                              工場を作るときも相談に                                                                                       E
        インタビュー                                                               カーに近いところから仕入れをし                                                                                                                                               . K
            Ⅲ                                                                たいと考えていたことがあります。                                                                                                                                              ビ ュ ー イ ン タ

                                            片山茂会長(以下、片山)                     そこで、片山鉄建東京営業所の                                            高田 1985 (昭和60) 年頃には、片
                                             KANEYASU さんとのお付き                北前さんに、商品を分けてもらえ                                           山さんから月間1,500t も2,000t
                                                                                                                                                                                                                                            Ⅲ
                                            合いが始まったのは 1968 (昭和               ないかとお話ししました。                                              も買っていた頃がありましたよ。そ
                                            43) 年頃のことでした。仲良しだっ               片山 川崎製鉄が千葉製鉄所を                                            れは合金のアロイが出たときです。
                                            た三兄弟のことを教えてもらった                  作って、どんどん大きくなった時                                           色を付ける前のテスト鋼で、自動車
                                            のが、お付き合いの始まりです                   期でしたね。                                                    用に作られたけど納入されなかっ
                                            ね。                               高田 北前さんにはいろいろ教                                            たものですね。これは売れません
                                            高田保弘社長(以下、高田)                    えてもらいました。「ムダ・ムリ・                                          でしたけど、在庫には慣れてるもの                                                                                   INTERVIEW
                                             そもそもは父と兄弟で鉄屋を営                  ムラの三無主義」とか、「おいあく                                          だから (笑) 。
                                            んでおり、最初、高田商店が横河                  ま」とかね。川崎製鉄や川鉄鋼板                                            川鉄のシートを松戸・北関東                   座談会風景。左から取締役営業部長 高田保治氏、代表取締役社長 高田保弘氏(2018年4月11日)

                                                                                                                                                                                                         パーダイマ」の勉強をしました。そ
                                            メーカー                                                       を                           学ばせてもらった                                                              のノウハウを「エコガル」にはめ込
                                                                 との付き合い方
                                                                                                                                                                                                         んで道路業界向けに展開しようと
                                                                                                                                                                                                         されておられましたね。
                                            株式会社 KANEYASU                                                                                                                                                 うちも独立系として変 わっ

                                            代表取締役社長       高 田 保 弘 氏                                                                    進行/片 山  茂 会長                                                      ていかなければいけない時 代
                                                                                                                                                                                                         になりました。社名を横文字の
                                                                                                                                                                                                        「KANEYASU」に し た の が
                                            に、高田建材が墨田区業平に、そ                  との付き合い方もそうです。我々                                           の倉庫にたくさん積んで置いても                  だった。それに対して茂はたいし                  2005 (平成17) 年。 5年前には、
                                            して最後に私の父が台東区入谷                   のような小さい会社では本当は難                                           らったこともありました。                     たことがないと思っておられるで                  工場にミニレベラーという新しい
                                            にカネヤスを出しました。高田商                  しいけれど、北前さんがついてき                                            発生品はこれから先細るから                   しょう (笑) 。                        機械を導入しました。
                                            店、高田建材から営業のいろはを                  て助けてくれました。                                                一級品を扱ったほうがいいという                  高田 とんでもない。松戸に本社                   当社はかつて店売り専門でし
                                            教わって、本所で出回っていた川                   1977 ~ 78年頃、当社はある                                        声があり、私もそう思っていた時                  が移った時、人が余ってしょうが                  たが、今は半分ぐらいが紐付きで
                                            鉄の余剰品を扱うところからのス                  取引先で1,500万円ほど回収で                                          に阪和興業と出合ったのです。発                  ない時代だったのに、茂会長は                   す。本当に細かいものまで紐付き
                                            タートでした。                          きなくなって、茂会長に……当時                                           生品で川鉄に儲けさせていただ                   若い人を15名ほども採用してお                  になってきており、店売りに頼らな
                                             片山さんとのお付き合いは、砂                  は常務でしたか……報告に行っ                                            いたけれど、そこで新日鉄へとシ                  られました。私も、「鉄ってどうい                 くていいので会社が安定してきて
                                            町のフジ商店もありますが、経営                  たら「いいよいいよ」とおっしゃっ                                          フトしていきました。当社が千葉                  うものなの」といったことを、組合                 います。発生品はゼロです。いず
                                                                             て、そのまま仕入れを続けさせて                                           に工場を出したのが1985年。そ                 の会館を借りて社員に2回ぐらい                  れそうなると思っていたとおりにな
                                                                             いただきましたね。あのあと、当社                                          の後すぐだったから、 1986年か                レクチャーをしたことがありました                 りました。その体制作りのために、
                                                                             は5年ほどかけて1,200~ 1,300                                      1987年頃の話です。君津製鉄                  が、その時の人達が全部活きてい                  1985 (昭和60) 年から30年かけ
                                                                             万円ぐらい回収することができ、                                           所で製造された亜鉛鉄板 Z22を                 るのがすごいと思います。                     て変えてきたのです。
          取締役
          営業部長の                                                              事なきを得たのです。                                                20t、紐付きで納入したのが最初                                                  片山 時代に合わせて変化して
          高田保治氏
                                                                              うちが今日あるのは片山さんの                                           でした。                                    時代に合わせて                   いかなければなりません。実に先
                                                                                   おかげ。社内でいつもそう                                         そういえば、工場を作る時には                           変化していく                  を読んでおられますね。
                                                                                   話しています。                                             亡くなった父と一緒に、茂会長に                                                    当社とのビジネスは、 KANE
                                                                                                                                       相談に伺いました。その時、川崎                                                   YASU さんにとって本流ではなく、
                                                                                                                                       の中華料理店で、亡くなった栄三                  高田 話を戻しますと、「スー                   支流も支流です。もっとお役に立
                                                                                        Profile :Yasuhiro Takada                       さんにごちそうになりました。「カ                 パーダイマ」という商品に出合う                  てる存在になりたいですね。
                                                                                        東京・入谷で1958 (昭和33)年に創業                          ネヤス工場おめでとう」ということ                 のです。今でも60%がそれになる
                                                                                        したシートメタルの専門商社・株式会
                                                                                        社 KANEYASU において、 1987 (昭和                      で、こんなに大きな冬瓜のスープ                  かな。まだ「エコガル」がなかった
                                                                                        62)年6月より第3代社長に就任。溶融                            で祝っていただきました。                     頃、御社の赤松滝男さんが拡販
                                                                                        亜鉛メッキ鋼板の取り扱いでは国内有
                                                                                        数の実績を誇る。                                       片山 兄の栄三は、本当に優秀                   会議にも参加して、一緒に「スー




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