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1979 1989
沿革編 沿革編
採用を主目的とする本格的な展開を開始した。これに伴って、当社 「順風は必ず逆風に変わる。吾々は今こそ逆風の時にも着実に利
は三井金属鉱業から人材を迎え入れて現場施工の指導体制を拡充、 益を上げてゆける片山鉄建を創り上げねばならぬ」 (第2次中期経営
若井建鉄は株式会社ダイムワカイと社名変更して、パーフェクト 計画書)
ルーフのメーカーとしての事業を開始した。
1989年、記念すべき創業70周年を迎えた当社は、 11月8日に舞
創立 70 周年記念式典 浜のシェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルで記念式典を
執り行った。式典には川崎製鉄の八木靖浩社長をはじめとして、仕
第1次中期経営計画を策定した頃から経済環境は一転してバブル 入先企業、特約店、需要家など二百数十社の参列を仰ぎ、栄三社長の CHRONICLE
時代を迎え、空前の好況を背景に建設向け鋼材の需要が急増した。 挨拶やソーケンマネジメント株式会社取締役社長青山幸男氏による 創立 70 周年記念式典での記念品
福岡営業所の丸棒が月間1万 t、最高14万 t で年商が100億円、単 記念講演を行って、喜びを分かち合った。社内においても、全社員が
CHRONICLE
独事業所では九州1位の売上を見せたのもこの頃のことであった。 神奈川県箱根に参集して記念の研修会・祝賀会を開催した。また、 Ⅰ
この頃から使われた赤羽マーク 片山栄 の と 時代 そ 一
1989 (平成元) 年2月、東京本社は八丁堀4丁目の事務所の隣接地 大阪本社では片山会の得意先70社程による川鉄鋼板玉島工場見学
15坪あまりと4階建ての建物を購入した。後に改修工事に着手し、 1 会を開催するとともに、有馬温泉で交流を深め合った。
階は東京本社事務所、横に2階への階段を設け、 2階は社長室ならび
に応接室、 3、 4階は会議室とした。東京では事業の拡大によって事 CI 展開と社員教育
務所が手狭になり、 1973 (昭和48) 年から近隣のビルにフロアを借り Ⅱ
大阪 日 ら か へ 本全国
て業務を行ってきたが、ビル改装に伴う退去を機に本社要員は新事 バブル時代にはさまざまな企業において多角化が進んだが、そ
務所に移った。 れゆえに旧来のイメージでは実態にそぐわなくなったという企業
バブル経済の急拡大は、都心部の地価と株価の上昇が牽引してい や、旧態依然とした印象の社名、ロゴなどのイメージを刷新したい
たため、多くの企業が土地や金融商品に投資して莫大な利益を上げ という企業が増えてきたことから、 CI(コーポレート・アイデンティ
ていたが、栄三社長はそのような在り方について「世の中が狂って ティー) ブームが起こっていた。 Ⅲ
片山鉄建 精神 の
いる。こんな世の中はいつまでも続かない」と社内を戒めて、大きな 1989 (平成元) 年に創業70周年を迎えた当社も、これを機として
投資はほとんど行わなかった。 1988 (昭和63) 年度の第2次中期経営 CI に乗り出したが、その内容は社名やロゴを変更するといったも
計画書には、以下の表現が見られる。 のではなく、むしろ会社の内容そのものの充実を中心に据えたもの
となった。
CI を進めるにあたっては、今後の発展に向けて「21世紀への座 会社案内より Ⅳ
近年 の 片山鉄建
第
3
章
創立満 70 周年記念誌 求 め て を 新素材・新 工 法
「21 世紀へはばたく片山鉄建」
創立 70 周年記念式典の様子 盛大に行われた創立 70 周年記念式典
150 ◆ ◆ ◆ THE 100 YEAR HISTORY OF E.KATAYAMA & CO., LTD. ˗ ˗ ˗ 151