Page 95 - 00_片山鉄建様_表紙
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者 た ち 創 業                                                                                                                                                                                                              創業者 ち た
             Aphorism          3


                                                                     第 3 代社長                                                               しては、全くの未経験であった。                                            人柄と思考
                                                                     片 山   茂                                                               ●  東京に出始めの頃は、関東流、江戸っ子の                        ●  片山鉄建100 年の歴史のうち、社員数が増                          「 肖像
                                                                                                                                            気っぷがわからず、大阪弁丸出しのため多くの
                                                                        Shigeru Katayama, 1930-                                             お客様に受け入れられず、入口は厳しかった。                         えていったのは、茂の時代。会社側からリス                              3

                                                                                                                                           しかし「山の手片山会」 「東京扇会」 を                           トラをすることは一切なかった。「創業時か
                                                                                                                                                              (注1)
                                                                                                                                                                            (注2)
                                                                                                                                            つくるなどして地道に二次線材を売っていき、                         らずっと、いい社員に恵まれた。基本的に、
                                                                                                                                            東京の商売も充実していく。                                 現場のことは現場に任せる。意見を尊重す
                                                                                                                                           ●  当社のその頃のヒット作に「扇印金属タイル」                       る。現場の思いを踏みにじらないよう支えて
                                                                     Profile                                                                があるが、地下鉄の窓の上にある額面広告                           いけば、社員たちも応えてくれる」と茂は振り                           APHORISM
                    の                                                1930 (昭和5) 年7月14日生まれ。                                                  を打ち出したことも人気につながった。その                         ●  戦後間もない頃の東北は、 2日がかりで汽車
                                                                                                                                                                                          返る。
                                                                     関西学院高等商業学部を卒業後、 1949 (昭和24)
                    像 肖                                              ほど勤務。 1952 (昭和27) 年に片山商店入社。                                            曜大工」は、茂の作だ。これにより扇印金属                          で行かなければならない地域が多かった。
                                                                                                                                            キャッチフレーズ「ママのデザイン、パパの日
                                                                     年より名古屋の老舗問屋である岡谷鋼機に1年半
                                                                     1953 (昭和28) 年より東京出張所に勤務。東京を
                                                                     中心に北海道、東北地方など東日本の得意先開拓                                                タイルは、一躍有名になっていった。                              そのため大手問屋の担当者は、ごくたまにし
                                                                     に注力する。その後、東京出張所所長、東京営業                                                ●  東日本の市場はすでに商流が固まっており、                        か得意先を訪問しなかったが、茂は毎月の
                                                                     所所長などを歴任して兄・栄三を側面から支え、                                                 切り崩しは困難と思われたが、茂は粘り強く                          定期訪問を欠かさず、クレームがあった時は
                                                                     1990 (平成2) 年2月、社長就任。バブル崩壊後の
                                                                     困難な時代に指揮を執った。                                                          営業を進めて地盤を拡大。雪国の建物には                           即座に急行し、得意先の倉庫で荷造りなど
                                                                     2002 (平成14) 年、会長就任、 2010年より取締役                                        トタン板が屋根材としてよく使用されるため、                          を手伝った。その地道な営業活動を知った
                                                                     会長。現在に至る。                                                              北海道・東北市場の拡大は、片山商店にお                           競合先では、「片山を見習え」と社員に発破
                                                                                                                                            ける亜鉛鉄板売上のベースとなっていった。                          をかけていたという。

                                                                 生涯の交流を結ぶ。第3 代社長の茂は「立
                                生い立ち
                                                                 派な先輩企業・岡谷鋼機様での私の体験                                                      (注1)  「山の手片山会」
                 ●  創業者・栄一と母・八重の間に誕生した、                          は、短い期間だったが、後の大きな財産と                                                          鉄鋼問屋は神田・八丁堀に集中していた。一方、地                       製品、トタン板・釘・針金の商売では利益のキープ
                                                                                                                                              区ごとの末端販売は上野・池袋・新宿・大森など山                       が難しかったため、このアイデア商品に片山東京出張
                  5 人兄弟姉妹の次男である。                                 なった」と語る。                                                                     手線の各ポイントに有力店があった。そこにターゲッ                      所は注力した。卸問屋が集中していた神田方面の店
                 ●  勉強嫌いだったという茂は、関西学院高等                                                                                                       トを定め、片山東京出張所は踏み込んでいく。その協                      に、このトタン製のタイル(イミテーション商品)を売
                  商業学部を卒業後、岡谷鋼機に就職。大阪                                                                                                         力者となってくれた7~8軒の店を「山の手片山会」と                     り込んでいった。タイミングもよくこれが拡大し始め、
                                                                            東京進出の頃                                                            称して、月々昼食会を開いたり、数年に1回、関西への                     取扱店も思わぬ売上・利益の増を喜び、安田金属も
                  築港の岡谷鋼機鉄鋼部、兵庫県福崎町の倉                                                                                                         1泊旅行会をしたり、長い年月にわたって取引を深め                      全面的に協力してくれた。後に横浜に安田金属東京
                  庫に配属され、鋼材の荷揚げや運搬作業を                           ●  呼び戻されて片山商店に入社し、わずか1 年                                                      ながら商売を拡げていった。                                 工場も設立され、金属タイルは片山東日本のユニーク
                  行っていた。その際、後に岡谷鋼機大阪支                            半後に父・栄一が急逝。新しい片山商店の                                                     (注2) 「東京扇会」                                        な取扱商品として長く続いた。その販売力となってく
                                                                                                                                              大阪市にある安田金属工業と片山商店が取引を始                        れたのが、東京扇会の各店(7~8社)である。
                  店長となる平尾誠氏や坂本興業の坂本賢一                            船出にあたり、自ら手を挙げて東日本開拓に                                                         め、ユニークな商品「扇印金属タイル」を全国で扱い                      「山の手片山会」「東京扇会」は、東日本進出当初の
                  氏 (後に岡谷綱機営業トップ役員) と知り合い、                       乗り出した。当時、茂はまだ23 歳。営業に関                                                       始めた。東京に進出当時、主力商品である鋼材二次                       10~15年間、当社の大きな力となった。




















                                                               学徒出陣の頃。後列左から清子18歳、栄三20歳、米子16歳、                                             ロサンゼルス EK.FASTENERS,INC. 訪問時                 「片山栄三を偲ぶ会」にて、左から阪本、茂、隆之
                                                               栄一、誠三5歳、茂15歳、母・ミツヱ(1944年正月。年齢は数え年)                                        (左から茂、妻・富美子、隆之、北神泰治)                          (2008年7月1日)
                         5歳の頃(1935年)



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