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者 た ち 創 業 創業者 ち た
Aphorism 3
第 3 代社長 しては、全くの未経験であった。 人柄と思考
片 山 茂 ● 東京に出始めの頃は、関東流、江戸っ子の ● 片山鉄建100 年の歴史のうち、社員数が増 「 肖像
気っぷがわからず、大阪弁丸出しのため多くの
Shigeru Katayama, 1930- お客様に受け入れられず、入口は厳しかった。 えていったのは、茂の時代。会社側からリス 3
しかし「山の手片山会」 「東京扇会」 を トラをすることは一切なかった。「創業時か
(注1)
(注2)
つくるなどして地道に二次線材を売っていき、 らずっと、いい社員に恵まれた。基本的に、
東京の商売も充実していく。 現場のことは現場に任せる。意見を尊重す
● 当社のその頃のヒット作に「扇印金属タイル」 る。現場の思いを踏みにじらないよう支えて
Profile があるが、地下鉄の窓の上にある額面広告 いけば、社員たちも応えてくれる」と茂は振り APHORISM
の 1930 (昭和5) 年7月14日生まれ。 を打ち出したことも人気につながった。その ● 戦後間もない頃の東北は、 2日がかりで汽車
返る。
関西学院高等商業学部を卒業後、 1949 (昭和24)
像 肖 ほど勤務。 1952 (昭和27) 年に片山商店入社。 曜大工」は、茂の作だ。これにより扇印金属 で行かなければならない地域が多かった。
キャッチフレーズ「ママのデザイン、パパの日
年より名古屋の老舗問屋である岡谷鋼機に1年半
1953 (昭和28) 年より東京出張所に勤務。東京を
中心に北海道、東北地方など東日本の得意先開拓 タイルは、一躍有名になっていった。 そのため大手問屋の担当者は、ごくたまにし
に注力する。その後、東京出張所所長、東京営業 ● 東日本の市場はすでに商流が固まっており、 か得意先を訪問しなかったが、茂は毎月の
所所長などを歴任して兄・栄三を側面から支え、 切り崩しは困難と思われたが、茂は粘り強く 定期訪問を欠かさず、クレームがあった時は
1990 (平成2) 年2月、社長就任。バブル崩壊後の
困難な時代に指揮を執った。 営業を進めて地盤を拡大。雪国の建物には 即座に急行し、得意先の倉庫で荷造りなど
2002 (平成14) 年、会長就任、 2010年より取締役 トタン板が屋根材としてよく使用されるため、 を手伝った。その地道な営業活動を知った
会長。現在に至る。 北海道・東北市場の拡大は、片山商店にお 競合先では、「片山を見習え」と社員に発破
ける亜鉛鉄板売上のベースとなっていった。 をかけていたという。
生涯の交流を結ぶ。第3 代社長の茂は「立
生い立ち
派な先輩企業・岡谷鋼機様での私の体験 (注1) 「山の手片山会」
● 創業者・栄一と母・八重の間に誕生した、 は、短い期間だったが、後の大きな財産と 鉄鋼問屋は神田・八丁堀に集中していた。一方、地 製品、トタン板・釘・針金の商売では利益のキープ
区ごとの末端販売は上野・池袋・新宿・大森など山 が難しかったため、このアイデア商品に片山東京出張
5 人兄弟姉妹の次男である。 なった」と語る。 手線の各ポイントに有力店があった。そこにターゲッ 所は注力した。卸問屋が集中していた神田方面の店
● 勉強嫌いだったという茂は、関西学院高等 トを定め、片山東京出張所は踏み込んでいく。その協 に、このトタン製のタイル(イミテーション商品)を売
商業学部を卒業後、岡谷鋼機に就職。大阪 力者となってくれた7~8軒の店を「山の手片山会」と り込んでいった。タイミングもよくこれが拡大し始め、
東京進出の頃 称して、月々昼食会を開いたり、数年に1回、関西への 取扱店も思わぬ売上・利益の増を喜び、安田金属も
築港の岡谷鋼機鉄鋼部、兵庫県福崎町の倉 1泊旅行会をしたり、長い年月にわたって取引を深め 全面的に協力してくれた。後に横浜に安田金属東京
庫に配属され、鋼材の荷揚げや運搬作業を ● 呼び戻されて片山商店に入社し、わずか1 年 ながら商売を拡げていった。 工場も設立され、金属タイルは片山東日本のユニーク
行っていた。その際、後に岡谷鋼機大阪支 半後に父・栄一が急逝。新しい片山商店の (注2) 「東京扇会」 な取扱商品として長く続いた。その販売力となってく
大阪市にある安田金属工業と片山商店が取引を始 れたのが、東京扇会の各店(7~8社)である。
店長となる平尾誠氏や坂本興業の坂本賢一 船出にあたり、自ら手を挙げて東日本開拓に め、ユニークな商品「扇印金属タイル」を全国で扱い 「山の手片山会」「東京扇会」は、東日本進出当初の
氏 (後に岡谷綱機営業トップ役員) と知り合い、 乗り出した。当時、茂はまだ23 歳。営業に関 始めた。東京に進出当時、主力商品である鋼材二次 10~15年間、当社の大きな力となった。
学徒出陣の頃。後列左から清子18歳、栄三20歳、米子16歳、 ロサンゼルス EK.FASTENERS,INC. 訪問時 「片山栄三を偲ぶ会」にて、左から阪本、茂、隆之
栄一、誠三5歳、茂15歳、母・ミツヱ(1944年正月。年齢は数え年) (左から茂、妻・富美子、隆之、北神泰治) (2008年7月1日)
5歳の頃(1935年)
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